日々考抄(2003年4月〜6月)

まともが大切   2003/06/19

 この発言が、会社の同僚や上司に見られたら、問題にはできないにしても、確実に私の立場は悪くなるでしょうね(^ム^;)

 今、私は、職場の業務改革の事務局をしています。

 コンサルタントを導入し、ある業務の分析と改革案のとりまとめを依頼し、今日、その結果の発表をしました。

 実務は、過去のしがらみや仕事の流れから、悪いとは解っていても改善できない部分はある。どこの会社でも同じだと思います。その背後には、経営者の我がままや 理屈では解決できない部分がある。それが現実です。

 コンサルタントは、そんなことには無関係ですから、純粋に理屈から最善の訴求します。それが仕事です。

 今回の発表には、そんな、職場独特の矛盾はことごとく整理され「普通に」することが盛り込まれています。改革ではありません。普通に戻すことです。

 発表会には、そんな関連部署の担当責任者も含めていました。耳が痛い指摘もあるはずと、質疑応答の時間は設けず、一方的な発表だけを聴かせ、解散してからそれぞれにじっくりと考えさせようと 思っていたのですが、議事進行を担当した人が、時間が余っていたこともあり、質疑を受け付けてしまいました。

 予測したとおりのことが起こりました。

 普通のことを普通でなく業務していた彼らが質問をしました。

 いわく、「実務はXXXXXXだ。そのあたりをどう考えるか」

 さも、発表は机上の空論である、実務は私が知っている。お前たちはそれを知らないから、こんな案を作る。と、言わんばかりです。違います、実務の矛盾点など、はなから百も承知で、あるべき 姿を描いてみせているのです。

 発表が終わり、解散した後、今回の発表の準備のためのワークセッションに参加した管理職から早速電話がありました。怖気づいているのです。改革をするためには、全体としては、業務は減るとはいえ、 部分的には増える業務があります。上流の仕事を確実なものにすることにより、下流が整理されるのですから当然です。増える上流の仕事は、人を増やしてでも処理することが、全体のためには必要なのですが、 一時的には負担になる部署がある。その部署からの反発を恐れているのです。小市民です。

 でも、これが現実ですね。一時の苦しみが将来の繁栄を生むのですが、普通の人は、今の苦しみから逃げることしか考えられない。

 およそ、知的では無い世界が現実です。

 とは言っても、頭から怒鳴ってもなにも解決はしない。バランス感覚で人の世界を調整して行かなければ改革など達成できない。だれのためでもない、理想のためです。

 それを達成したとしても、だれからも、私は評価はされないでしょうけどね。


日本語が共通語   2003/06/15

 昨晩のことです、妻が海外旅行中なので、久しぶりにと、行きつけの居酒屋にの飲みに行きました。
 私は一人ですから、カウンターで飲んでいたのですが、すぐ隣のテーブル席では二人の外国人が飲んでいました。
 一人は、どことなく日本人にも共通する顔立ちでしたが、もう一人はアラブ系あるいはペルシャ系の顔立ちでした。妙な組み合わせとは 思ったのですが、私の住まいの周辺には、ブラジルからの出稼ぎの人が多いことから、おろらく、日系のブラジル人とヨーロッパ系のブラジル人ではないかと 思ったのです。
 しかし違っていました。ひょんなことから話をしたところ、二人ともネパール人だとのこと、片方は中国系のネパール人だったのです。
 しばらくすると、彼らの友人が二人加わりました。この二人はブラジル人でした。職場の同僚らしい4人の共通語は日本語です。
 私も加わり、しばしの会話を楽しんだのです。ネパール人の二人は少し英語を理解しましたが、ブラジル人はまったく英語はわからないらしく、 けっきょく日本語が多い会話でした。
 ブラジル人の二人は、まったくの出稼ぎでしたが、ネパール人の二人は、奥さんが日本人らしく、子供もあって、日本語もかなり上手でした。
 ネパールは、仏教とヒンズゥ教が混在する国です。話題を向けたところ、偶然、一人は仏教徒ですが、もう一人はヒンズゥ教徒でした。かれらから、二つの宗教の 違いと、一つの国の中で、仲良く共存している実態、その親和性について、話を聞くことができました。熱弁する彼らの話は面白かったです。
 急速に国際化の進む日本です、こんな会話ができるようになったことはうれしいことですね。少し前の日本では考えにくいことだったのですからね。
 そんな彼らを支援する、なにかそんな活動がしてみたいと考えた夜でした。


台湾でのSARS問題   2003/05/18

 香港やシンガポールでは収まりつつあるSARSですが、台湾では今がまさに盛りとなっていますね。

 中国での患者隠しが世界の非難を浴びたころ、台湾政府の幹部は、中国での爆発的な患者の増加の原因を、中国の秘密主義と批判し、 合わせて、医療体制の遅れを指摘、台湾は、情報開示が進んでいることと、医療体制が整っていることから、台湾は中国の二の前にはならないと、 胸を張って見せたとの報道を読みました。

 この発言があった時には、まだ台湾では患者がでていなかったことから、安易にしてしまった発言なのでしょうね。ところが、その発言の直後から、 多数の患者が発生してしまったのです。

 患者発生後の行動は速やかでした。おそらく、先の不用意な発言を恥じた裏返しの行動だったのでしょうね。常識はずれとも思える強硬な隔離を行い、 それが引き金となって大混乱になりました。病院ごとそっくり丸ごとの強制隔離、隔離された病院職員や、たまたま訪問していた市民達が、隔離を嫌い、逃げだそうとして 止められ、泣き叫ぶ姿が報道されましたし、実際に逃亡した人たちまでいたようなのです。

 台湾は、心情的にはまだまだ古い感覚なのでしょうね。患者と認定されると、社会から抹殺されると思い込んでいると思われてなりません。

 患者と接触した市民、監視が必要な市民の多く(千人を超えているとの報道も)が逃げ隠れしているようです。かつての日本にも有った伝染病気と 偏見が、そこには見えますね。それが、2次感染3次感染を呼び、収拾がつかない状態になっているのでしょう。

 経済的には先進国の仲間入りをした台湾ですが、意識はまだまだ後進国のまま、屈折してしまった民衆がそこにはあるのでしょう。

 今回の事態を見ていて二つの教訓を感じます。一つは、安易に他所を批判しないこと。「明日はわが身」、「ひとの振り見て我が振り直せ」。 もう一つは、経済の発展も大切だが、心の発展がもっと重要であること、「お金」よりも「文化」を重視する必要があるということですね。


パソコンを新調しました   2003/05/11

 これまで使っていたパソコンは、香港から持ってきたものをベースにしていました。

 突然の駐在辞令を受け、海外では日本語環境のパソコンは手に入らないだろうと、当時としては最高級のノートパソコンを買いました。

 7年前、Pentiumプロセッサーの120MHZに2GBのHDD、64MBのRAMを搭載していましたから、40万円ほどもしたでしょうか。そのまま、3年半ほど不満を感じず 使い続けていましたが、ディスクトップパソコンを、近所の電気店で安売りをしていたので、半分は衝動買いで買いました。

 Pentium2の600MHZの速さに感動し、1年半ほど使った時点で手違いからマザーボードを壊してしまいました。日系の会社のパソコンでしたが、すでに香港からは撤退していて サポートが受けられず、しかたなく、使える部品は使うことにし、初めての自作をしました。この時のCPUが、Pentium4の1.4GHZです。これまた感動物の早さでした。

 その後、1年ほど経って帰国が決まり、CPUとマザーボードにHDDとビデオボードを旅行鞄に詰め込み帰国。帰国後、ケースや電源、CR-ROMやらモニターやら……、を買いました。自分用としては 2台目(仕事用で3台組んでいたので、かなり習熟していましたが)のパソコンを、ちょうど1年前に作って昨日まで至っていたのです。

 ケースやその他、見えるところはまだ1年も経たない新品同様ですが、肝心のCPUとマザーボードは2年が経っているので、この週末を利用し、新しくすることにしました。

 今回のCPUは、Pentium4の2.66GHzです。マザーボードは、これまでのUSB1.0が2.0に替わっているなど、CPUのスピードだけではなく、周辺もかなり進化していました。かかった費用は、点数は少なくとも、そこそこ性能の高い部品を選んだので、それでも10万円ほどと、 まあ、最近の既製品のパソコンならば、モニターはもちろん、ソフトまで買えそうな値段になってしまいました。しかも、組み上げてしまえば、少なくとも外観はまったくの無変化ですから、つまらない投資にも 見えるかも知れませんが、実は……。またまた早くなりました。

 新しくする前は、演算処理は間違いなく早くはなるが、通信系は変わらないと思っていました。LANが早くなるわけでもなく、ROMを増設したわけでもない。通信回線も同じですから。

 でも、なぜか早いのです。おそらく、ADSLの通信環境に比べ、これまではパソコン側が劣っていたのでしょうね。それが、見合うほどの性能になったことから、ムダやロスが減り、早くなったのでしょう。

 さあ、後は、この性能が高まったパソコンを使って、どれだけ、知的生産の効率が高くなるか……。これは、機械ではなく、人間の頭のスピードとの勝負です。

 早くなったパソコンが、どれだけ、人を啓発してくれるか、今はそれに期待しています(^0_0^)


長期化するSARS問題   2003/04/27

 少しも楽しくない話題で恐縮なのですが、無視もできない問題が、SARSです。

 なにしろ、本業が、主に中国は華南地区で製造をしている製造業の社員ですから、無視どころか、その影響をもろに受けています。

 すでに、出張は禁止状態になってかなりの時間が経ちました。もちろん、その間、だれも行ってはいませんが、行かないで済む仕事ならばまだしも、 行かなければ仕事が滞る可能性が高い。既存の製品の生産を継続するだけでも、香港と中国との物流管理に不安があるし、工場の従業員に感染者が出たりすると、 長期ではないにしても、生産の停止が予想されます。まして、新製品の導入となると、日本からの技術者の派遣が必須です。行けないということは、新製品の生産に 着手ができないという大問題に発展するのです。

 それでもまだ、発生から1ヶ月程度ですから、なんとかしのいではいますが、これが、半年、1年と長期化すると(しない保証はどこにもありませんね)、死活問題になります。

 危険だからと、ただただ、出張禁止、交流禁止では済まされない。危険は承知で次の手を打ち出さないと、華南、いえ、中国ビジネスそのものができなくなるのです。

 衣料品に始まり、軽工業製品から家電、生鮮食料品まで、中国からの輸入に依存している現在の日本です。それらが事実上止まったとしたら。物不足や、日本生産に切り替えることによる 物価の上昇などが起こり、一種の経済恐慌に発展してしまうのではないでしょうか。

 このままSARSが中国の風土病になってしまう可能性も高く、そろそろ、危険だから行かない、交流をしない、ウイルスを日本に入れない防疫体制ばかり考えるのではなく、 危険は承知のかかわり方を、本気で検討する時期に来ていると思っています。


夏と冬とでは、どっちが好き?   2003/04/17

 「夏と冬とでは、どっちがすきか?」最近はほとんど話題にならないテーマですが、昔、少なくとも20〜30年前は日常の話題でした。

 当時の私は、「冬は暖房をすれば良いし、服を重ね着すれば寒さはしのげるけれど、夏の暑さは逃げ様がないから、冬の方が好きだ」そう答えることにしていました。

 それが今は、すっかりと、「冬は嫌い、暑くても夏の方が好き」に変わってしまいました。

 夏でも冷房が普及して、それほど暑さが苦にならなくなっていることもその理由の一つではありますが、もっと根本のところで考え方が変わったのです。

 変わった原因は、亜熱帯の香港に住み、熱帯の南アジアにしばしば旅行して過ごしたことです。すっかり、暖かいところが好きになってしまったからです。

 赤道直下の暑い地方は、工業化も遅れた国がほとんどです。ところが、日本を始め、温帯も、少し寒いくらいの地域には、工業が発達した国が多く、先進国も温帯から亜寒帯地域にしか ありません。なぜなのでしょうか。寒い地域の方が優れているからなのでしょうか。だとすると、若かった頃の私の感覚の方が正しく、今の感覚は間違っているとは言わないまでも、怠惰な趣味嗜好なのでしょうか?

 まあ、それも無いとは言えないでしょう。

 さて、なぜ、寒い地域に工業が発達し、暖かい地域が遅れるのでしょうか。

 人間の生活の基本は、「衣食住」ですね。

 暖かい地域は、まず、衣類にお金がかからない。タイやマレーシアならば、1年中Tシャツ1枚と半パンツで過ごせてしまいます。住まいも、冷房を考えなければ、簡単な造りでも寒くはありません。雨がしのげればそれでよいのです。 食べるものはどうか。少なくとも、野菜や果物を食べるのであれば、ほとんどタダ同然で手に入ります。バナナなど、道端に成っているのですから。

 つまり、暖かい地域では、「衣食住」にお金がかからない。しかし、寒い地域では、特に冬のために備える必要から、お金の備蓄が必要です。そんなことから、自然に物やお金を蓄えることが当然のこととなり、資本の蓄積が起こり、工業も発達する。 富めるものと貧しいものとの差もでてくるのではないでしょうか。

 そこで、始めの問いに戻るのです。そしてそんな問いが出るのは、おそらく、寒い地域だから。暖かい地域の人は、この問いですら意識をしないのではないでしょうか。

 正解の無い「夏と冬とではどちらが良いか」という問いですが、心豊かに生きるには、暖かい地域の方が生き易い。そんな思い入れが、寒さよりも暑さの方が良いと思えるようになった理由だと自己分析をしています。

 さて、みなさまは、「夏と冬とでは、どちらが好きですか?」


手ぬぐいが好きです   2003/04/09

 イラク戦争やらSARSやら、暗い話題にはゲップが出るほどなので、今日は、私の生活スタイルの一つを紹介したいと思います。

 私はいつも、「和手ぬぐい」を持ち歩いています。

 ハンケチ代わりと言えばそうなのですが、ハンケチではちょっと小さい。そこで、もう、20年以上も、手ぬぐいを1本、持ち歩いているのです。

 用途は無限、と言ったら大げさですが、ハンケチ代わりの手拭にも使いますし、今週は風邪を引いています、会社で咳がでそうになると、手ぬぐいで口を押さえて「マスク」の変わりに。その他もろもろ、 ハンケチに比べ約3倍の大きさの、上質な綿の手ぬぐいは便利なのです。

 そもそものきっかけは、浅草の江戸手染めの手ぬぐい屋「ふじや」を知ったことから始まりました。その後、私が手ぬぐい派だと知れわたったことから、自然に集まり始めたのです。その数はすでに100本を越えています。

 落語家の「円歌」師匠やら、最近はお笑い番組にもよく出演している「中尾彬」さん、時代劇の「横内正」さんなどの芸能人物。 今はもう、閉店してしまった吉原の茶屋「松葉屋」さんなど江戸老舗の名入りの手ぬぐいなど、今となってはもう手に入らない物は、私の貴重なコレクションになっています。その他にも、舞踊家などの名取り名入りの手ぬぐいなど、 今も、次々に集まってきています。まあ、それを、特殊な物は別として、惜しげも無く、日常に使うのが楽しいのですがね。



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phmanager@albsasa.com Albert 佐々木