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日々考抄(2003年10月〜12月) |
| 2003年の締めくくり 2003/12/31 |
実にあわただしく過ぎた2003年でした。 世界にとっても、イラク戦争やSARSの騒動が起きた2003年です。ここ数年の中でも、特筆すべき年だったのではないかと思っています。 さて、今年の1月、今年は、このホームページへのコンテンツの充実を目標に掲げました。まだまだ深さにおいては至らない部分もありますが、広さに おいては、それなりの充実ができたと、私自身は思っています。むしろ、広さ的にはこのあたりが限界なのではないかとさえ感じています。これ以上テーマーの 幅を広げてしまうと内容が薄くなって見ていただく方にとっても価値が薄くなると思うからです。範囲を広げることは、このあたりで一応終わりにするつもりです。 来年にかけての目標は、深さの探求ですね。それを、どのようにして実現して行くか。方法をも含め、検討を開始しています。 この1年間を見守ってくださった、ご来訪のみなさま、ありがとうございました。 |
| 死ぬということ 2003/12/17 |
人間は、必ず死ぬものです。 どんなに優れた人でも、天文学的な財産を持つ富豪でも、いつか、必ず死ぬのです。 若いときには、死ぬということを、ただただ嫌なこと、恐いことと思っていました。それは、全てが無になる、自己の破滅だとしか感じられなかったからです。 しかし、最近になって、少し考え方が違ってきました。 人は必ず死ぬのだから、それを恐れてもしかたがないと思うようになったのです。 それがどこか、誰も知らないような所で、たった一人、誰からも見取られることも無く、死んだことさえ誰も知らずに、ただ朽ちるように死ぬのは嫌です。 でも、普通に死ぬ。家族や知人に見取られて死ぬ。仮にそれが、外出先での突然の死だったとしても、家族は葬儀をしてくれるでしょう。火葬場まで遺体を見送り、涙の一つもこぼしてくれるでしょう。 そんな普通の死ならば、それはそれでしかたがないこと、誰もが一度は通る道なのだからと、静かに受け入れる気持ちにかったのです。 まあ、普通に生きれば、まだまだ数十年は死なないでしょうけれど(^ム^;)、なにがあるのか予測がつかないもの世の中です。今晩死ぬかもしれない。 そんなことも有りうると考えておくことが必要でしょう。そして、死ぬときには、幸い、まだ意識が残っていたら、「面白い人生だった」、嘘でも自分に言い聞かせて死にたいと思っています。 それで、良いではありませんか。 |
| 喫煙? 2003/12/15 |
禁煙はしていないと宣言をし、吸いたいときだけ吸うと決めました。 ここ数日、特に吸いたくも無いので、吸わずにいましたが、ただこれでけで実質的な禁煙が出来てしまっては、禁煙のために苦労する人たちに悪いと思ったのです。 今でも喫煙室には毎日行っていますが、私は煙草は吸わず喫煙室にある自動販売機でコーヒーを買い、話の輪にだけ入っていました。でも、煙草を吸わない私に、廻りの目が厳しいのです(^ム^;)。 きっと、禁煙しなければならないと思いながら、できない人が多い。それなのに、私は何の苦労もせずに吸わずにいる、面白くないのでしょうね。 さっき、久々に1本吸ってみました。 頭がくらくらしました。毎日吸っていた時には、煙草など、単なる嗜好品と思っていました。毎日吸い続けていると、特に変化はないからです。でも、数日吸わずに吸ったときの、 あまりの身体に与える影響に愕然としました。これだけ即効的に身体に影響がでるのです。身体に良いことはあるはずもない。これまでは気づかず吸っていただけだったのですね。 残っていた煙草をゴミ箱に捨てました。 今でも、禁煙はしていないと思っています。香りの高い葉巻でも手に入ったら吸うでしょう。でも、美味しくも無い市販の紙巻など吸う気にはならなくなりました。 これは、私だけの事情です。煙草を吸い続けている人をどうのこのとは言いません。それは、自由なことだからです。ただ、私は止めることにしました。禁煙ではありません。吸うのを止めただけですからね(^ム^) |
| フセイン元大統領身柄拘束 2003/12/14 |
午後9時少し前、テレビのテロップでニュースを見ました。また、9時半には、バクダッドでの記者会見がNHKにより実況中継されました。 世界は狭くなっていますね。驚くべきニュース伝達の早さです。 さて、これで、米国の一つの目標は達成されたでしょう。ただ、これによって、イラク国内のテロがストレートに沈静化するとは思えません。悪質なテロは、むしろイラク国外からの テロリストの行為なのですから。イラクでの、平和への道筋はまだまだ厳しいでしょう。楽観視はできないと思っています。 しかしまあ、今日のところは、まずは良かったと素直に喜ぶことにしましょう。世界の平和のために。 |
| 禁煙はしませんが…… 2003/12/09 |
思うところが合って(高血圧と診断されただけですが(^ム^;)、煙草を吸うのを 減らそうと考えました。禁煙ではなく、減煙、節煙です。これまでは、平均する と1日に20本弱を吸っていました。 ことさら、禁煙はしたくないのです。嗜好品ですから、吸いたければ吸えばよ い。ただ、生活習慣的に、流れで、吸いたくも無い煙草は吸わないようにしよう と考えたのです。 減煙は先週の土曜日からの開始です。 それでも、土曜日は10数本を吸い、日曜日も10本ほど、月曜日の昨日は6 本、それも、午後は1本だけです。そして今日は、朝から午後2時現在で3本で す。 土曜日と日曜日は、意識して減らしていました。吸いたくなっても(吸いたく なりました)少し我慢をして(ミントのキャンディをなめたり)押さえていたの です。 昨日は、いつもの流れで仲間と喫煙室に行き吸いました。流れで吸っているの で、特に吸いたいと思って喫煙室には行っていません。 今日は、まだその流れを少し引きずり、早朝の出社時と、昼食後に喫煙室に入 りましたが、その他は、自分から喫煙室に行っていません。また、吸いたいと思 うこともなくなりました。 もしかすると、今日はこのまま3本で終わるかも知れません。 禁煙をしているわけではありません。吸いたくなれば吸うつもりなのですが、 今のところ吸いたくならないのです。このまま吸わなくなってしまうかも知れな いと感じ始めています。たった4日目ですが(^ム^;) でも、禁煙はしませんよ(^0_0^) |
| 西安での出来事 2003/11/11 |
西安・西北大学の外国語学院で、日本人留学生の演じたパフォーマンスが原因となり、大規模なデモが起こっているとのニュースを初めて目にしたとき、その詳しい内容までは伝えられていませんでした。 ちょうど、広東省での事件も起こっていましたし、「中国女性を娼婦のように扱ったのかな?」くらいに考えていました。 次には、もう少し詳しく内容が報じられました。どうやら、舞台で裸になったらしいということと、学生だけではなく、日本人教師も含まれていたとの報道でした。 まあ、日本の学生ならば、恥ずかしげも無く、人前で裸踊りくらいはするだろうと思いましたが、ちょっと不思議だったのは、そんな行為をすれば、あきれられ、馬鹿にされることはあっても、 数千人規模の抗議デモにまでなるのだろうかということでした。 最近になって、某アジアの新聞に載った記事を読み、詳しい内容を理解したのです。 記事によると、教師1人と学生3人(もちろんすべて男性)は、全裸になったのではなく、上半身だけ脱いだのだそうです。ただし、その裸の胸には、ブラジャーを着用していた。ズボンは脱いではいないのですが、ズボンの中にコップいれ、卑猥な形を造っていた。そして、「これが醜い中国人だ!」と叫んだのだと書かれていました。 そんなかっこうで、中国人を揶揄する発言をしたら、見ていた中国人が怒って当然です。もし日本で、外国人留学生が同じことをして、「これが醜い日本人だ!」言われて怒らない日本人はいないでしょう。ようやく、大規模な抗議デモが発生した理由がわかりました。 日本人の中には、愛国心とは無関係に、ただただ理由も無く日本人であることに優越感を持ち、中国人を始め、アジア諸国の人たちを見下す哀れな人たちがいます。そんな人なら、こんな行為を行っても納得できます。 日本の大学祭あたりなら有りそうなことです。ただ、中国の大学に留学している学生と教師です。しかも中国の中で行った行為です。叫んだのが、「これが醜い日本人だ」だったら、 失笑だけで済んだでしょう。なぜ、中国人の中で、相手が怒ると解っているようなことを言ったのでしょうか。 まったく理解に苦しむのが、彼らの行動です。それほど、どうしようもないほど愚かな教師と学生だったのでしょうか。まだ、納得ができないという気持ちが残る今回の報道でした。 |
| ホームページ広告 2003/11/05 |
このホームページのトップページ上に、シティバンクのバーナー広告を入れてみました。 私としては、趣味で運営しているこのようなホームページに、広告など入れるのは好きではありませんが、世の中は、好きと嫌いとにかかわらず、動いているものです。 広告とは、少なくとも旧来の考え方は、広く人目につく、いわゆる「マスコミ」にこそ入れるものでした。少数の特定の人が見るような媒体に広告をでしても、広告主から見ると 効果が期待できず、これまでだったら見向きもしませんでした。しかし、それが変りつつあるのです。 その変化を、身を持って経験したいと、お目汚しを覚悟で入れて見ました。 どんな会社の広告を入れればよいか、ずいぶんと考えました。少なくとも、このホームページのテーマに無関係な会社は良くない考え、出版関係と海外旅行、海外出張などと関係の有る会社を探したのです。 いくつかの会社にオファーを入れましたが、今のところ、承認されたのは、シティバンクだけです。 シティバンクは、私がメインバンクとして使っている米国系の銀行です。日本で唯一、この銀行が発行したキャッシュカード(もちろん、日本の支店が発行したカード)は、 海外の主要な国の銀行ATMから、現地通貨で預金の引き出しができるのです。また、主要な国際空港には、シティバンクのATMが設置されており、海外にでることの多い人には最適な銀行なのです。 残念ながら、日本ではシティバンクの支店は少なく、大都市にしかありませんが、日本の一般銀行はもとより、郵便局とも提携していますから、入金や出金に不便は感じません。しかも、口座に100万円相当以上の預金残高があれば、 どこの銀行や郵便局のATMを使っても、手数料は無料です。また、インターネットバンキングが充実しているので、近くに支店が無いことは障害にはなっていません。 もちろん、外貨預金や、海外の別の銀行口座への送金も自由にできます。 私は、香港銀行に口座を持っていて、香港発行のクレジットカードも使っているので、簡単に日本円を香港ドルに代えて送金できるこの銀行は、とても便利なのです。 そんなことから、広告の第1号はシティバンクとなりました。残念ながら、新規口座開設の広告ではなく、クレジットカードでしたが。 広告ですので、出稿料が設定されています。このホームページから広告主のページに行き、クレジットカードを契約した実績にて課金される方法ですから、契約者がいなければ課金が発生しない。 実質的には「ゼロ」でしょうね。まあ、それで良いと思っています。 ホームページの可能性の一つが、バーナー広告であることには間違いがありません。そのテストをしているつもりです(^0_0^) |
| 夢かも知れないけれど 2003/10/15 |
若い頃は、与えられたり、自ら設定した目標に承認を得て、がむしゃらに仕事をしていればそれで済みました。 もちろん、障害はあったし葛藤もあった。しかし、周囲の人を憎んだり排他するような、そんな経験はしていません。必要も感じませんでした。 ある程度の年齢になり、そこそこのポジションとなってしまって、仕事が、ただ目標を達成するためだけでは遂行できないようになりました。 ある種の「政治」、あるいは「力学」がはたらく空気の中に、否応無しに組み込まれてしまっているのを感じるのです。 悪いことをしてでも自己の利益を追求する人がいます。そこまでではなくても、わがままや自己の利益のために、策を労し、他人を蹴落とそうと考えている人がいます。 奇麗事ばかりは言っていられないのが現実ですから、平気でそんなことができる人の方が、より容易に、金銭のみならず地位や名誉まで勝ち取っているということも事実でしょう。 それができない人間は、バカと陰口をたたかれることも解っています。 しかし、私は嫌です。社会に対して、人に対して正直であり続ければ、いつかきっと、幸せはやってくる。そんな考え方は、 夢か幻想かも知れませんが、私はそれを信じて、たとえ現実は悲惨でも、素直で正直な人生をまっとうしたいと思っています。 |
| 年金制度について考える 2003/10/04 |
選挙の季節となり、年金問題もマスコミをにぎわしていますね。 現役で働いている若い頃は、あまり気にはならないでしょうけど、定年が近づき、リタイアした後を考えると、年金問題も無関心ではいられません。 ただ、このあいだ、テレビのそんな特別番組を見ていて、ちょっとおかしいと感じたことがありました。 長年、個人でお店を経営してきた老夫婦が、仕事をやめ、店も閉め、今は年金だけで暮らしているという設定です。夫婦は、年金が一人3万円程度なので、とても生活が できないと言って嘆いています。確かに、長年働き、今の生活がそれだけの収入しかなければ、不憫にも思います。でも、これって、政府の責任でしょうか? 長年働いてきたのならば、それなりの蓄えをしておくべきですし、年金の額が少ないということは、掛け金の少ない、収入とは無関係に一定額の国民年金だけしか、この夫婦はこれまでかけてきていないからです。若い頃に、負担をしていないのです。 一般のサラリーマンのように、国民年金の数倍の高い掛け金の企業年金を払い続けていたのではないのです。受け取る額が少なくて当然なのではと思います。 また、現在の企業における年金は、退職した時点での収入に比例して受取額が変ります。このことをおかしい、同じにすべきだとの主張も聞かれます。一見、公平にする、そんな主張に見えますが、これは間違っています。 収入に比例して掛け金を払い続けてきているのですから、収入に応じて受取額が違って当然なのです。少なく負担してきた人は少なく受け取り、多く負担してきた人が多く受け取る。当たり前です。それが不公平という主張は 納得がゆきません。 そもそも、公共サービスを受ける代償として払っている税金が不公平なのです。日本の所得税は、収入に比例して額が多くなります。まったく同じ行政サービスしか受けていないのに、収入が高いという理由で高い税金を払う ことが、そもそも間違っているのです。でもまあ、税金は良いとしましょう。負担できる力のある人に、多く払ってもらう、払う、それもある程度は納得できないこともありません。しかし、年金は別です。 だれもが、同じ額を受け取るのであれば、だれもが、現役時代に公平に同じ額を負担するべきなのです。 そんな意味から、だれもが公平に負担する「消費税」を財源とし、基本となる年金は掛け金をなくし、全額税金から支出する。その代わり、額は少ない。それでは、老後の生活は難しいでしょうから、 国民は、個人の責任で個人で年金を契約し、保険金を払い続けることで、老後の保障とする。あくまでも、個人の責任で年金もまかなうべきなのです。 もちろん、全ての人が、順調に年齢を重ね、歳をとるわけではないです。個人での保険金が払えない人もでてくる。そんな例は、生活保護でカバーすればよいのです。 先の老夫婦がそうだとは言いませんが、若い頃から、収入は全て使い、貯蓄もせずに遊び暮らし、歳をとって働けなくなった、年金が少ないのは国が悪いと言う、この主張は理不尽です。 |