日々考抄(2006〜7年)

 自殺強制は本当なのか?   2007/10/03

 世論に反する意見なので、反論や非難を覚悟に個人的な見解を述べたいと思います。

 沖縄で、教科書から集団自決に対して軍の強制が有ったとの記載をした教科書に対し、削除の意見が審議会からだされ、受け入れ削除されたことに抗議する大集会が開かれました。

 マスコミも政府も、その主張を認める方向の流れです。それでも良いとは思いますが、私は強制したと指弾されている軍人を擁護したいと思います。

 そもそも、強制が本当に有ったのか。

 同じような大規模な自殺があったサイパンと比較して考えたいと思います。

 ただし、私は専門家でもなく、特にこの件について研究もしていないので、情報不足から誤解をしている可能性は高いことは承知していますが、あえて言いたいのです。

 沖縄の方たちは、強制された根拠として、自決用の手榴弾を配られたことを挙げています。

 その事実は有ったのでしょう、でも、これって、強制行為でしょうか。私は違うと思います。

 サイパンでは、配られなかった。配られなかったことから、自らの足で崖を飛び越え、数千人が自決しました。その死体の山と、流れた血で海が真っ赤になり、そのあまりのむごたらしさに、現地の住民たちは、とても正視できなかったそうです。

 1個の爆弾を使い、家族や友人仲間が集まり、一瞬の内に自殺するのと、一人ひとりが、目の前で次々に苦しみながら死んでゆくのを見ながら、次の自分の順番を待つ気持ち、どちらが苦痛が大きかったでしょうか。

 手榴弾を配った軍人は、生きて捕らえられることが最悪の状態であると信じていました。当時の日本人はほとんどの人が、そう思っていました。

 サイパンに移住していた日本人も思っていました。だから、なにも配られなくてもサイパンの日本人は自決したのです。強制ではありません。なぜなら、強制したと沖縄人が言う軍人は、サイパンでは とうに、玉砕して戦死していたのですから。サイパンで自決した日本人は、自分の意思で自決したのです。

 軍人は、いえ、ほとんどの日本人なら、あの状況では自決して死ぬことを当然のことと思っていました。軍人の本分としたら、残り少ない弾薬は、敵を一人でも倒すために使いたかったはずです。それを、与えたのです。

 残り少ない貴重な武器を民間人に渡したのです。本来ならば、軍法会議にかけられてもおかしくないほどの、軍人としては違法行為です。それをしたのは、それが、民衆のためになると信じていたから配ったのでしょう。これは、あっぱれな武士の情けなのです。 彼ら沖縄に駐在し、玉砕し亡くなった軍人たちは、偉かったと言う事はできても、非難するなんて、とても正常な感覚の人間とは私には思えません。

 沖縄人が、それを強制と感じていたとすると、サイパンで自決した日本人とは意識も認識も違っていたことになります。そんなことは無いと思っています。沖縄人も同じ日本人だったはずです。

 自決することを当然とする、そんな常識を持たせた軍部や政府が悪かった。私もそう思います。しかし、それをを糾弾することは別の次元での事柄です。現実として、そんな常識があったことは事実であり、それを無視して、 現代の感覚で、過去に起こった事件を判断するのは間違いです。

 それではまるで、自分たちの価値観でしか物を見ず、歴史認識が違うと、一方的に日本を非難する、中国や韓国政府の幼稚な発想とまったく同じです。

 当時起こったことは、当時の社会感覚や常識で判断するべきなのです。

 今回デモをした沖縄の人達は、当時の沖縄人は、日本人の一般的な認識とは別の認識を持っていた、心は日本人ではなかったと言うのでしょうか。

 今、生き残って、強制だと主張している人は、間違いなく、心は当時の日本人では無かった特殊な人です。なぜなら、自決せず、生き残っている人たちですから。

 その人は、真実が正しく見えていた賢い人かもしれません。しかし、当時の常識から見ると特殊な人なのです。そんな、特殊な人の言い分をストレートに聞く必要はありません。

 非常識を常識とする愚を、デモに参加した1万人もの『善良な沖縄人』は犯しているのです。

 ミャンマーがキナ臭い   2007/09/26

 僧侶による軍事政権に対するデモが、毎日のように報じられています。

 この『僧侶』とは、日本における仏教の僧侶(お坊さん)とはまったく違います。日本の仏教は基本的に『在家仏教』ですが、ミャンマーの仏教(日本で言う『小乗仏教』正しくは『上部座仏教(上座部とは、寺院の中で、上座に座る尊い人達を意味しています)』は『出家仏教』です。

 ちなみに『大乗仏教』などと、偉そうに言っている日本の仏教は、正しくは『下座仏教』つまり、民衆仏教です。

 その違いについては、小説『ビルマの竪琴(作:竹山道雄)』の中でも、主人公である、元日本軍兵士でありビルマ仏教僧の『水島上等兵』に語らせていますが、ミャンマーの仏教は、出家し、ひたすら、釈迦の教えである『輪廻転生』などについて、 哲学的考察をする仏教なのです。

 古代ギリシャにおいては、宮殿に集まり、難問を出し、哲学者や数学者・科学者などの知識人がさかんに議論を戦わす文化がありました。布教らしい布教を行わず、ひたすら自らの『さとり』を目指す『上座部仏教』を、ギリシャの哲学文化と似ているとして、欧米の宗教研究家の中には、 宗教ではなく『哲学である』と決め付ける人もいるようです。

 ミャンマーでデモをしているのは、一生僧侶を仕事とする日本のお坊さんとは違い、ある期間だけ僧侶になっている。ちょうど、兵役に服しているような感覚で僧侶になっている人達がほとんどでしょう。貧しい国の中ではあっても、彼らは、仕事をしないでも衣食住が保証されている身分です。 まあ、日本で言うと『学生』のような感じかも知れません。じっくりと、国の将来について考える時間を持っている。とすると、今行われているのは、日本の学生デモのようなもの。ただし、一応は僧侶ですから、非武装ですけどね。

 そんなことから、日本のお坊さんがデモをしていると思ったら間違います。日本のお坊さんは、宗教法人に課税するとでも言わない限り、デモなどしないでしょうしね。

 いずれにしても、その行動は、彼らの師である高僧も許可しているのでしょうから、あなどれません。

 報道では、軍事政権の幹部たちが、家族を海外(タイなどでしょう)に避難させ始めたようです。非武装の僧侶のデモだけならば、身の危険までは感じないはず。おそらく、背後に、反軍事政権武装勢力がおり、その動きを察知しているのでしょう。

 近いうちに、クーデター(民生復活とも言えますが)が起こるかも知れません。

 望むことは、そのクーデターが、『無血クーデター』であることです。

 総裁選挙は、人気投票ではないと言うけれど   2007/09/17

 少なくとも、4〜5人は立候補し、最後は決戦投票になるのかと思っていた自由民主党の総裁選挙は、福田・麻生一騎打ちになってしまいました。

 思惑通り、マスコミは連日連夜、その争いの模様を報道し、分析し、無責任な意見を吐き散らしています。

 『選挙を、人気投票にしてはならない』偉そうに言うコメンティター。

 でも、そうでしょうか。

 福田氏にしても麻生氏にしても、能力・知識・経験に加え、人柄においても、一国の首相としてそぐわないような方では無いでしょう。

 早い話が、利害関係のある自由民主党所属議員、特に、次の閣僚を狙う派閥の中堅議員ならば、どちらが選ばれるかは重大関心事でしょうけれど、我々一般国民にはそんなこと無関係。

 ようするに、国民が納得すればよい訳でして、人気投票で良いではないですか(^ム^;)

 朝青龍症候群   2007/09/13

 安部首相が、突然の辞任を表明しました。あまりにも唐突な発表だったので、本人の心の中は解りませんが……。

「ボクは、日本人が、日本人として正しく生きられる日本を作りたいと思っていたのよ。美しい日本。間違ってなんていないよね。そんなボクの気持ちを解ってくれるお友達を 大臣に登用したのがなんで悪いの」
「選んだ人達、なんで次々に問題を起こすの。これボクの責任じゃないよね」
「ボクが、一生懸命ガンバッテるのに、なんで、みんなボクの悪口を言うの。ボク悪くないもん」
「悪いのは、み〜んな彼らだよ。マスコミもいじめっ子だ。ボクもう、なにも言いたくない」

 朝青龍の気持ちとも、同じかも知れません。よって、『朝青龍症候群』(^ム^;)

 まあ、国会を始め、マスコミが大慌てしています。呆然としてコメントもできない自民党幹部たち。でも、これって、チャンスじゃあないでしょうか。 いえ、チャンスにするべきであると私は思います。

 なぜ、チャンスなのか。

 今、これだけ不人気な安部首相です。いくら、正しいこと、国際公約だからと、国民を説得しようとしても、マスコミは正しく報道をしてくれるとは限らない。無視すらされかねない。

 首相が辞任するということは、次に、自民党総裁選挙が行われます。これをチャンスにするのです。

 有力な自民党政治家を多数立候補させる。マスコミは、彼らの主張の差異を盛んに報道するでしょう。この過程で、自民党の主張、民主党の先の選挙でのいいかげんな公約の矛盾点を突く。 最高の宣伝に利用できる。

 そして、国民が納得できる次期総裁、次期首相が選ばれれば、形勢は一気に逆転するでしょう。

 頼りになる自民党、言いっぱなし無責任の民主党。そんな世論作りに、総裁選を利用しない手はありません。

 お手並み拝見ですよ。自民党幹部の皆様。

 公務員に対する時効   2007/09/10

 社会保険の詐取の問題で、時効の壁が追求を難しくしているようです。

 時効の考え方が私には良く解りません。

 ある犯罪を犯し、ある期間が過ぎれば罪に問われないという制度が必要なのでしょうか。

 もちろん、時代により法律は変わります。その当時は犯罪ではなかったことが、ある時、法律が変わって犯罪と決め付けられるのは困ります。

 しかし、発生時点で犯罪だったら、何年経ったとしても、発覚した時点で罪に問うことが間違いでしょうか。

 一般市民の場合ならば、法律も充分には理解していないでしょうし、時効の適用もそれなりの意味があるのかも知れません。でも、今回のような、 法律を熟知し、法律に基づいた仕事をしている公務員の場合、一般市民と同じ時効を適用するのはいかがなものなのでしょうか。

 類例があります。電気通信事業法です。

 この法律では、通信技術士などの資格を持つ人は、それを持たない人の場合に比べ、犯罪を犯した場合の懲役期間や罰金が2倍になるとの規定があります。 法律を知っていて犯した。悪質であるとの理由でしょう。

 同じように、法に基づき身分が保証され、国民の税金で生活している公務員の場合は、それが職務に関係して起こした犯罪の場合は、時効にしても罰金等の償いにしても、2倍を適用することにしたらどうなのでしょうかね。

 指紋押捺顔写真   2007/09/06

 お若い方だと記憶にないかも知れませんが、かつて、在日の外国人に対し、外国人登録証の発行のため、指紋押捺が義務付けられていたことに対し、 人権団体と自称するグループが反対を表明し過激な反対運動を展開したあげく、裁判にまでなりました。

 マスコミもこれを後押しし、結果的には、外国人にのみ指紋押捺という、犯罪者に課せられるのと同じ行為を強要するのは公平でないとの理由(だったと思います)から、反対派の勝訴に終わったと記憶しています。

 この判決に、私は疑問でした。

 個人を特定する必要があるとき、指紋の記録は効果的です。

 犯罪を犯すことが無ければ、自分の指紋が登録されていることになんら不都合はありません。なぜ、反対するのだろう。そう思っていました。まあ、反対する団体の裏に、北朝鮮の影が感じられたこともありましたが。

 十数年前、香港に長期の居住を申請するとき、すべての指の指紋を採取されました。もちろん、顔写真も。

 香港で居住するためには、外国人だけではなく、香港人でもIDカードが必要です。その発行には指紋と写真が必須。だれも、それを人権侵害だなんて思っていません。

 むしろ、嫌がる方が胡散臭い。かつて、反対した自称人権団体とは、どんな団体だったのか……。迎合した裁判所やマスコミも……。

 11月20日から、日本に入国する外国人は、人差し指の指紋最終と顔写真撮影が義務になります。拒否すれば入国できません。

 今回は、だれも反対していません。かつて反対した人達は、今、何を考えているのだろうか。

 時代は変わる、世の中は変わるとは言っても、あまりにも節操が無いとは思いませんか。

 炎天下の高校野球   2007/08/20

 猛暑が続いている今年の夏です。今年だけの特異現象とは思えませんね。来年もこの時期は暑いでしょう。

 熱中症での死亡者も二桁を越え、三桁に迫る勢いです。

 不幸にも、お亡くなりになるのは年配の方がほとんどであり、若者は少ないですが、ゼロではない。こんな暑いときに、わざわざ炎天下で野球をする必要があるのでしょうか。

 選手はもちろん、応援する高校生の中に、良く、熱中症や熱射病の発症者が多発しないものだと、あきれるほどです。

 夏休み中は予選に使い、気候の良い秋の時期に全国大会をしても良いのではと思ってしまいます。夏休み中なので、学校を休まず応援ができるからとの理由なのかも知れませんが、 予選は休み前にしているのですから、同じではないでしょうか。

 それともう一つ高校野球には意見があります。

 夏の全国大会は学校ごとの対戦で良いと思いますが、春の選抜まで、学校ごとに参加させ開催するのはいかがなものでしょうか。

 いくら、優れた才能や技量を持っていても、チームが弱ければ勝ち進めません。勢い、有能な子は勝てる可能性の高い甲子園常連校に集まってしまう。

 強い学校は益々強くなり、弱い学校は沈んでゆく。これでは、高校野球の精神が飛んでしまう。

 県ごとに代表を出すのならば、夏の大会を各県の体育関係者が観察し、有能な選手を選び、夏の大会終了後に、県別の選抜チームを結成して春の大会を 開催してはいかがでしょう。

 これならば、有名校でなくても、光る才能を持つ選手ならば選抜チームに加わり全国大会に出場できるはずです。

 まあ、頭の固いことでは、相撲協会に勝るとも劣らない日本高等学校野球連盟です、聴く耳は持っていないでしょうけどね(^ム^;)

 朝青龍問題に思う   2007/08/15

 仮病とも疑われる病気を理由に、巡業を休場し母国に帰っていたことが発覚してからのドタバタ劇。あきれて、しばらく黙っていました。

 そもそも、相撲が国技だなんて思われていることが不思議でなりませんでした。

 相撲の起源は祭りの余興。江戸時代に入り、江戸では大道芸として始まり、武士の遊びとして保護されたとは言っても、しょせんは見世物です。

 日本の武術としての国技というのならば、それは『剣術』であるはずだし、オリンピック種目にまでなった『柔道』の方がよっぽどふさわしいと思います。

 もっとも、日本国では、国技としてのスポーツを法律で定めてはいません。よって、相撲は正式な国技ではありません。通称なのです。

 そもそもが、相撲を国技と言い出したのも、明治の末期くらいからのようですから、古くからそう呼ばれていたのでもありません。

 相撲協会が、競技場を作るときに、その名前を『国技館』としたため、なんとなく、相撲が日本の国技であるかのように思われているだけなのです。

 さて、力士の品性ですが、江戸時代の相撲取りの行動を記録した古文書など見ると、相撲取りとは、大きな身体をもてあましたごろつきのこと。 相撲取り崩れがやくざや地回りになっているなど茶飯事でした。

 相撲取りが、心技体とも優れているなんて、ごくごく最近の一部の日本人が勝手に捏造した幻想でしかないのです。相撲関係者の思い上がりです。

 相撲を、日本人の心のよりどころとするのならば、それでも良いでしょう。だったら、朝青龍は生まれていなかった。日本人でなければならない理由はないけれど、日本人の 心を持たない人を相撲取りすることは間違っているのです。

 朝青龍の一連の行動を見ると、普通の若者とすれは、その行動は納得できます。大阪の知能の低いボクサーよりはまだまだまともな青年です。

 今回の騒動。間違っているのは相撲界の方だと思います。良いではないですか。勝てば横綱になれるシステムなのですから、強い力士ならば、外国人であろうと、心に日本人魂が 無かろうと、横綱にすれば良い。

 相撲も仕事の一つと考えれば、ある程度の個人の自由も常識的に許されるはず。

 将来を考え、母国に財産を作ること、企業を興すことだって、天晴れとこそ言え、非難する理由などどこにも無いのです。

 相撲界に靖国神社。戦前の天皇崇拝主義・軍国主義・非民主主義の亡霊でしかないのです。

 相撲を国技だなんておだてるのを止めましょう。単なるプロスポーツで良いではないですか。

 決断は難しい   2007/08/01

 ついに、安倍首相は赤城大臣を解任しました。もっと早く解任すべきだったと、私は思います。

 問題が次々と発覚し、その対応はお粗末そのもの、あの対応を見る限り、赤城氏は、そもそも、大臣など務まる能力も人格も持っていない人だったと思います。 そんな人間を、要職に就けた任命責任が大きいことは明白ですが、とりあえずその事は置いておきましょう。

 問題は、解任の時期、決断のタイミングです。

 前任者の不始末を受けての起用でした。煮え切らない態度が、マスコミを初め、一般国民にまで嫌われた。その結果が自殺だったのでしょう。その後任者です。 まったくといってよいほど類似の問題を起こしたのだから、早い時点で罷免するべきだったと思います。しかし、ここでまた、決断力の無さを国民に見せ付けてしまった。

 選挙がらみの期間であったことが、罷免解任の動きを取り難かったということはあったと思います。しかし、今辞めさせるのならば、選挙期間中にでも辞めさせれば、 まだ、国民からの心象は良かったと思います。

 今辞めさせても、『当たり前。むしろ遅すぎた』としか思われ無い。選挙期間中でも、問題がダブルで露見した時点で罷免すれば、『おや。安倍氏も変わったのかな』感じる人も多かったと思います。

 惨敗はしかたがないとしても、最悪である今回の結果よりは、少しはましな結果で終わったと思うのは私だけではないと思います。

 国の指導者としては国防や軍事において強い首相を演じ、人としてはやさしさを演じたいと思っているのでしょう。気持ちは解らないこともありません。しかし、 決断のタイミングがあまりにも良くない。アドバイスをするブレーンがいないのでしょうか。

 なにごとにも良い子を演じたい、おぼっちゃまくんの悪い面が見事に決断力の無さに現れています。

 まあ、下品な、利益誘導型の地方議員よりはましかも知れませんが。

 やらせ報道   2007/07/20

 世界的に話題となった、中国のダンボール肉まん報道ですが、実は『やらせ』だったとの報道が、同じ国営放送局から流されたそうです。

 『やらせ』報道・番組は、日本でも時々発覚し、問題になります。

 視聴率が成績と直結するマスコミです。視聴者を引き付けるため、加熱した番組作成の現場が、しばしば勇み足をする。解らないでもありません。

 言ってみれば、起こるべきして起こっている事件と言えるのかも知れません。

 ただし、今回の『やらせ』報道。なにしろ中国です。

 今まさに、世界中で中国産食品や医療品、医療・食品原料などへの不信感が高まっている最中です。

 こんな時に、あんな、ダンボール肉まん事件の発覚は、悪いイメージに拍車をかけることになります。有ってはならないし、報道してはならないとしたら……。

 『やらせ』の『やらせ』報道ですら、有りえるのではと、思ってしまいます。

 まあ、それほど、不信感が高まっているということですけどね。

 新潟地震、チャンスと言ったら被災者に申しわけないけれど   2007/07/17

 新潟からは遠く離れた群馬県のわが書斎ですが、10時過ぎの最初の地震で棚の物が2個落下しました。

 大きな地震と、すぐにテレビを点けました。最初は、津波を心配する報道ばかり、被災の状況はしばらく解りませんでした。

 被災の状況が判明すると共に入ってきたニュースは、安倍首相が遊説を切り上げて被災地に向かうとの情報でした。

「これはもしかすると」

 その時に感じたのです。

 どちらかというと、いえ、明らかに劣勢な政府、自民党ですが、この地震が神風になるかも知れないと。

 速やかに行動し、確かな対策を策定して実施する。

 常々言っていた事は、政府として、責任政党としての実行力でした。ここでその事実を国民に見せ付ける。これは、野党ではできないことでしょう。

 夕方になり、避難している住民の様子が報道されると、水や食料が足らない、届けられていない現実が明らかになりました。県や市などの行政も、災害に備えた準備は していたでしょう。しかし、これほどの激甚災害にまで対応する準備はないでしょう。

 いざとなったら、周辺地域行政との助け合いが必要。そのための準備もあったとは思われますが、なにしろ、道が通れないのでは駆けつけることも困難が伴います。 イライラしながらテレビを見ていた方が多いと思います。

 自衛隊も救援に出動していました。その活躍ぶりも報道されています。しかし、地域の自衛隊が中心と思われます。物量共に足らない。

 チャンスはここにありますね。

 政府が、新任防衛大臣に指示し、全国の自衛隊を動員すれば、物不足など吹き飛んでしまいますね。

 政府のお手並み拝見です。

 そして、その結果によっては、安倍政権に神風が吹くでしょう。

 あきれた役所の意識   2007/07/12

 生活保護を止められ、餓死した男性のニュースが流れました。

 そして、記者会見した役所の責任者の発言には、腹の底から怒りを感じました。

 ニュースをご覧にならなかった方のために、事件のあらましと会見内容を説明します。

 事件は、52歳男性の餓死死体が発見されたことから始まります。

 この男性は、病気のため職を失い、生活保護を受けていたそうです。

 訪問した役所の職員は、病気が回復していると判断したのでしょう、男性に働くように勧め、本人から働く意思を確認したので、生活保護を止めた。

 これは、役所の発表です。

 実際は、働くことはできず、収入が無く、餓死したのです。日記の最後に書かれていた言葉は『おにぎりが食べたい』だったとか。

 記者会見した責任者の発言は、

「本人が働く意思を示したから止めた。役所はなにも間違ったことはしていない」

 でした。しかも、醜いほどふてぶてしい態度での発言でした。これが、田舎の役所職員の意識なのでしょう。市民をばかにしているとしか見えない態度です。

 働くように指導したのは良い。しかし、就職を斡旋もしない。働いたことの確認もしていない。ただ、保護を止めた。仕事も決まらないうちに止めたら、餓死することは容易に 推定できたのに止めたのです。

 この担当者は、業務上過失致死あるいは未必殺人罪が適用できると私は思います。また、記者会見した上司は、公務員の資質が無いことから、懲戒免職にするべきです。

 このニュースのその後が何も報道されていませんが、これを放置するのならば、その市の行政の長の責任問題となります。

 期待はしていませんが、迅速な責任の追及と処置を望むところです。

 家族の心情と公的な正義   2007/07/10

 殺人事件の被害者家族、北朝鮮拉致被害者家族、原爆被害者とその家族など、家族親族であることからくる気持ち、理解できないことはないが、 普遍的な社会正義と必ずしも一致しないこともある。

 命を貴ぶ仏教の伝統を、基本的な心情としている日本人なら、大切な命は被害者だけに適用されるものではなく、加害者の命をも大切に扱わなければならない ことは明白である。

 拉致された人、その家族の悲しい心情は解るが、国家の、多くの国民の命の安全を犠牲にしてまで、その解決を要求することではないことも、 知的な人なら明白なはずである。

 原爆にしても同じだ。唯一の被爆国として、核廃絶運動において優位に主張を展開するのは良い。ただ、考え方は人によって色々、主義や主張は自由に認められているのが 日本である。ヒステリックに自分の主張を押し付けるのは愚民の行為だ。

 主張するのは良い。しかし、自分と違うからといって、他人の主張を盲目的に攻撃するのはいただけない。面白がって報道するマスコミ、選挙対策なのだろう、良い子ぶる政治家も 醜い。

 いよいよ参議院選挙   2007/07/05

 国会が閉幕し、いよいよ参議院選挙が本番となりました。

 投票する側にとって、今回の選挙ほど難しい選挙は無いと感じています。

 そもそも存在価値すら無い共産党や社民党はどうでもいいとして、政府自民党は失策が続きあきれ果てているし、追う民主党には迫力が無く、 信頼感に乏しい。

 選挙民に媚びているのかと疑うほど、タレントやら女性やら、別に女性が悪いとは言っていない、中途半端な男性よりは、女性の方がよっぽど良い。 でも、特に地方では、首をかしげるような小粒の立候補者しか立てられていない。自民党しかり、民主党は輪をかけて。

 早い話が、政治家全体が信じられない。

 いっそのこと、参議院など廃止した方が早いのではと思ってしまう。

 そう思いませんか、みなさま。

 裁判は勝てば良いのか   2007/06/28

 元少年による母子殺害事件の再審の様子が盛んに報道されています。

 マスコミ、特にテレビの報道は半分くらいしか信じられない私ですが、それにしても、漏れてくるその裁判の様子はあきれる内容のようです。

 私も死刑は反対です。

 そもそも、人の生死を、人が決めることを良いこととは思わないからです。

 人を殺すことは、人として最も悪いことですし、殺人の行為をした人は、最悪の犯罪者です。だからと言って、法の基といいながら、人が判断して 人を殺す死刑は殺人と同じだと私は思います。国家権力による殺人です。

 殺人の被害者の家族が、「犯人を死刑にして欲しい」と主張する。その気持ちは解らないでもないですが、殺人を示唆したことと変わらない。してはいけない主張なのです。

 今回の裁判における弁護団の作戦は、報道を見聞きする限り、死刑判決を避けるために、嘘や事実を曲げた詭弁を並べているとしか思えません。

 人道に基づき、死刑の廃止を望むのなら、彼の犯罪は犯罪として認め、あくまでも、死刑という行為そのものの不当性を主張するべきではないでしょうか。

 もちろん、量刑として死刑が設定されている犯罪を認めることは、死刑判決がだされる恐れはあります。でも、嘘で撹乱してまで、死刑を回避しようとすることは、あまりにも 幼稚な戦略ではないかと思います。

 このままの方針で裁判を継続したとしたら、世論は弁護士団に味方はしないでしょう。おそらく逆効果となり死刑判決が下されるでしょう。

 罪を認め、死刑という制度の不条理を訴えることしか無いのではと、私は思います。

 弁護士団の現在の戦略戦術では、おそらく、裁判には勝てないと思いますが、よしんば、死刑判決を回避し、勝ったとしても、死刑廃止の方向性を押し進めることにはならないでしょう。

 危惧の気持ちを持ちながら、裁判の流れに注目してゆきたいと思います。

 年金問題と品性   2007/06/19

 発覚した年金問題が、参議院選挙とからみ、政党間の低次元な責任の擦り付け合いに終始している。政治家とは、実にくだらない人種であると、改めて感じている。

 今回の年金問題を考える時、平成9年、基礎年金基号が導入された時点の前後で区分けして考える必要があると思う。

 今回問題になっている5000万件の名寄せができないデータは、導入以前に支払われた年金の記録である。それは、導入時点では3億件有ったとのことだ。

 もし、平成9年に導入されなかったとしたら、その後飛躍的に高まった労働者流動性の高まりと共に、この件数は、はるかに大きな数になっていたであろう。

 また逆に、もっと以前に、昭和の年代に導入されていたとしたら、正確な予測をするにはデータが不足ではあるが、名寄せができない数はせいぜい数千万件、20年以上も経過した今では、 お亡くなりになった人のデータも含め、そのほとんどの名寄せが済んでいたであろう。

 そもそも、日本国民として生まれた人間を、特定できる『コード(番号・記号)』が、まったく存在しなかった導入前の状態が異常なのだ。戸籍は整備されていたかも知れないが、同姓同名は少なくない。同姓同名で同じ誕生日だってありうる。 名前や住所、生年月日だけで個人を特定するのは無理があるのだ。国民が固有の番号を持ち、それを持って個人を特定することなど、世界の常識だ。年金に特定して曲がりなりにも導入されたが、それも、まだ10年ほどしか経っていない。

 今回の問題が発覚し、政府や社会保険庁を激しく糾弾している政党や社会団体の中に、国民総番号制度を今でも反対している勢力がある。プライバシーが侵害されるというのがその理由のようだが、そんなことは理由にはならない。導入するデメリットより、今回発覚したような、 導入されていないことから起こる問題の方がはるかに深刻なのだ。それが理解できないような無知蒙昧な連中には、政党を作ったり団体を作り偉そうに発言する資格など無いのだ。共産党や社民党は、存在価値すらない有害政党である。

 自民党が配布したパンフレットを見て驚いた。かつて、刺客ともマドンナとも呼ばれた元高級官僚であり、確かに美しい女性ではある補佐官が指導して造ったらしい。

 基礎年金番号制度導入後の、社会保険庁職員の意識の低さ、厚生省の指導力の欠如、それらはもちろん糾弾されるべきことではある。しかし、政令に基づき、導入し運用した時点の担当大臣・政治家が、現在は野党だからと、実名まだ挙げて 非難する根拠はどこにも無い。国の政策として立法化し実行した施策なのであるから、運用開始時点の責任者個人の問題では無いことは明白である。それを鬼の首でも取ったつもりで書き連ねる品の悪さ。

 どんなに学校時代の成績が良く、高学歴・華々しい役人としてのキャリアを持っていたとしても、見栄えが優れている女性であっても、人格や品性が下劣な女性は美しくない。

 そういえば、彼女のテレビなどに出ての発言や態度を見るに付け、品の無い女性だと以前から思っていた。なぜ、あんな人を、阿部首相は登用するのだろう。 そういえば、現政権周辺の女性達、例外が無いほどみな下品だ。何故なのだろうと思ってしまう。おそらく、阿部氏自身が品格を理解できない人間なのだろう。

 さて、それでは、残った主要政党である民主党は、まだましな政党なのだろうか。政党としてまった意見を創り上げることすらできない、寄せ集めの落ちこぼれ政治家もどきの集団が民主党だ。本来あるべき政党としてのまとまりすらない。この政党も失格だ。

 現時点では、残念ながら日本には、まとも政党も政治家も存在しないのだ。まあ、まともマスコミすら存在しないのが現実なのだから、なにも期待はできなのだが。

 今年の参議院議員選挙は、聞くに堪えないほど下卑た政治家の非難合戦と、ジャーナリストの仮面をかぶった無自覚なピエロがテレビの画面で騒ぐ、末期症状を呈するのだろう。

 企業の不祥事   2007/03/25

 知人が、コールセンターを経営しています。

 企業内部に設置されたコールセンターではなく、それを専門の業務として請け負う企業です。

 その方が、

「このところ、仕事が多く、人手が足りない。人集めには苦労しているが、経営はすこぶる順調だよ」

 そうでしょう。請負仕事なのだから、抱えきれないほどの仕事があるのなら、損益分岐点を大きく越える。経営者としては笑いが止まらないのでしょう。

 どんな仕事が増えているのかを聴きました。

「企業の不祥事。製品の欠陥。そんなことが原因になり、釈明やら検品やら、株主や顧客からの問い合わせ窓口が圧倒的に多いよ」

 さもあらん。このところ、そんな記事が新聞や映像メディアに頻繁に顔を出しています。

 不祥事や製品の欠陥が、最近になって突然増えているとは思えません。おそらく、社会の目が厳しくなっているということの反映なのではと思っています。

 それは悪いことではないのですが、しばしば、行きすぎたマスコミの報道も目にします。映像メディア自身が『捏造報道事件』まで起こしている。

 そこで、危惧していることがあります。面白がってとは言いませんが、古い、数十年も前の不祥事や事故を、さも、今起こったことのように取り上げる報道態度が目立つからです。

 それで良いのだろうか。

 時代背景も価値観も違う時代に起こったことを、現代の感覚で論議することは、過去の戦争責任を論じるのと同じ。視点の違いで、正義が不正義となり、栄誉が罪になる。

 もちろん、現代の価値観での評価も必要なのだけれど、当時の価値観での考察も合わせてしなければ、将来に向けての、正しい判断はできないと、私は思います。

 ましてや、タレントや、単に有名というだけのスポーツ選手などを、コメンティターにしている番組。まったくの娯楽番組なのに、まるで報道番組のようにそれらを扱う番組が、多く見受けられることは、困ったことと思っています。

 それを目にし耳にする視聴者が賢ければ問題はありません。しかし、現実の圧倒的多数日本人は、マスコミならば盲目的に信じてしまうほど、お人好しと言うか、無知と言うか……。

 マスコミ報道が、社会を捻じ曲げてしまってはいないか。

 日本の社会と、日本人の抱える問題は奥が深いのではと思っています。

 マンネリの打破   2007/02/12

 ホームページを立ち上げた時、このページをメインページにしようと考えました。

 個人のホームページなのだから、偏見でも良いのでは、どうせ、見てくれる人なんていないのだから、そんな気持ちでした。

 しかし、始めてみると、意外なくらいに反響があり、気楽に持論を展開することが出来なくなりました。臆病になったのかも知れません。

 そして、数年が経ち、書くことが少なくなりました。今年も、すでに1ヶ月以上が経っているのに、今回が始めての更新です。

 書きなぐりは良くない。ましてや、いっぱい飲んでの放言は慎まなければなりません。

 政治家のように、マスコミが注目しているわけではないのですから、何を書いても良いようなものなのですが、書いてはいけないのです。

 と、言うほど、更新が少ないのは、大げさな理由があるからではありません(^ム^;)

 忙しいのは事実ですが、事実、怠けています。反省です。

 反省だけなら猿でもできると、行きつけの小料理屋のお母さんに言われてしまいました。はい、その通りです。

 読んでいただける方が少なくても、頑張って今年は書くつもりですので、皆様、よろしくお願いいたします。

 遅ればせながら、新年のご挨拶とさせてください。

 謹賀新年(2月18日の農正月に向けて)

 ホテルでNHK受信料ディスカウント。けしからん?   2006/11/24

 全社一斉の有給休暇取得日だったので今日はお休み、めったに見ない昼のテレビ番組を見ていました。

 主婦向のお昼の番組。新聞のコラム記事を紹介しコメントをするのですが……。その論理がちょっとおかしい。

 話題になっていたのは、NHKの受信料でした。大手のホテルなどでは、所有するテレビの台数に比べ、異常に低い台数で契約しているとか。最低では5%。これはけしからん、大企業優遇だと、 コメンテーターは発言したし、『本来は、一般家庭よりも、公共施設やホテルなど、徴収しやすい企業などから先に取るべきだ』と、弁護士までが。

 でも、間違っていない。

 今は、一軒の家に何台もテレビはある。自動車のナビでもNHKは見れる。コメントをしていたタレントや弁護士は、自宅の受像機の数に、自家用車の台数分も加え、受信料を払っているのだろうか。 おそらく、一家として1台分しか払っていないだろう。それなのに、ホテルだけ、受像機数より支払いが少ない、けしからんと言えるのだろうか。

 ホテルから徴収した受信料は、けっきょく、ホテルの利用者が支払う料金に反映される。

 利用者は、一部の不払いをしている人は別として、自宅で受信料を払っているはず。それが、たまたま、自宅を離れ、ホテルに泊まった。そこで、また、受信料を払ったのでは、二重払いではないの。

 受信料は、テレビの台数ではなく、見ている人にかかるべきではないの。

 一軒一軒、家庭を廻って受信契約を取り付け、徴収する。どれだけの費用がかかっているのだろう。いっそのこと、一人いくら。地方税を徴収するときに一緒に払わせ、人口に応じてNHKに払ったら、 徴収にかかっている費用はゼロになる。

 そもそも、受像機の台数に応じて受信料を徴収するというのは、受像機の普及率が低く、所有している人が少なかった頃の名残じゃあないでしょうか。

 ただただ、昔からの方法をそのまま継承しているだけなのでは。

 本質を考え直せば、最も効率よく不公平の少ない方法が考えられると思うのですが、いかがでしょう。

 漁船員射殺事件。事実と結果をすり替えるな   2006/08/17

 痛ましい事件です。拿捕するために、船を止めるために、甲板にいた漁船員を射殺するという行為は野蛮です。ロシア当局を糾弾すべきです。

 しかし、漁業協定を違反して違法にカニを採っていたこととは別のことです。

 北海道の漁船が、日ロ政府が、漁業資源を守るために設定していた海域を越えて違法行為をしていたこと(以前から、日常的に行われていたと聴いています。 特に拿捕された船長はその常習犯だったとの報道を私は信じます)とを混同してはいけません。

 ましてや、北方領土問題にからめて報道した(北方領土が返還されていたら今回の問題は起こらなかったなど、まったく論理的に矛盾な無知な 旧島民の談話を報道した)局があり、あきれました。返還されていようがいまいが、資源保護による規制はあって当然です。今回の事件は、北方領土問題とは まったく別次元の出来事です。

 日本は法治国家です。理性で行動できるのが文化的先進国です。結果で感情的な動きをするとしたら、それは野蛮国家です。

 拿捕は正等だったとしても、船員に銃を向けたこと、それは政府を挙げて非難糾弾するべきです。ロシアの軍人の中に、文化的に低レベルなやからが多いのは事実でしょう。 銃を打った兵隊と、その指令官には責任を取らせるべきです。そのためには、日本政府は強い態度てロシアと交渉するべきです。

 ただ、現場で起こった結果が非人道的なだったとしても、それで、違法な漁業をしていたことが許されるようなことは有ってはならないのです。

 起こった事件に含まれる、ごく一部の結果により感情に流されるのは、過去の歴史を見ても明らかのように、日本人の性質です。それは日本人の最大の欠点であり、かつての鎖国日本の歴史を引きずった島国根性的幼稚さなのです。

 勿論、事実を確認してからのことですが、日本人の違法行為も認め厳しく罰する。その上で、対応が人道的で無かったとロシア側を糾弾するべきなのです。確認をしないうちに、一方的に相手が悪いとの論法は間違っています。

 しかし、報道を見る限り、外務省は世論(マスコミが創り上げた悪しき世論ですが)に流されそうです。まだ政府の正式見解は聴いていませんが、似たようなことになるのではと危惧しています。

 しっかりとした、正義と国際法の論理に基ずく、感情ではない対応を、せめて、政府には求めたいと思います。

 輪廻転生   2006/08/13

 日本は全国的にお盆の夏休みです。

 日本人の圧倒的多数は、積極的ではないにしても仏教徒(と、少なくとも日本人は思っています)。そして、当たり前のこととして、お盆にはお寺に行き、祖先の霊を祀ります。

 でも、これってちょっと変です。

 仏教の根幹は「輪廻転生」ですよね。ブッダの悟りも、この「魂は輪廻する」ことを知ったことから始まっています。

 輪廻して生まれ変わっている魂ですから、すでに霊界にはいないはずです。祖先を祀るということ、お盆に祖先の霊を迎えられるということは、 祖先の霊が、輪廻転生せずに、霊界に留まっていると思うからこそ迎えられるのです。この行事は、魂は輪廻転生するという、仏教の基本に反していますね。

 そうです。お盆の行事は仏教行事ではないのです。

 祖先を祀るという行為は、神道の氏神信仰の伝統です。仏教行事と思っているお盆の心は、実は神道の心なのです。

 まあ、祖先を敬い祀ることは良いことです。それが、ブッダの仏教教義に反していても、日本の風習と考えれば、それでいいと思います。

 ただ、ふがいないのは、街のお寺のお坊さんが、話をしてみると、本当の仏教を知らない。彼らが仏教と思っているのは、ブッダの教えではなく、 法然や親鸞などなど、日本人が、直接は理解できない外国語である梵語の、しかも中国語に訳した経典を、勝手に解釈して作り出した、 新興宗教日本仏教の教えなのです。

 何人かの跡継ぎ僧侶と話をしました。ほとんどの、世襲の住職は仏教を知りませんでした。教えられたことだけが真実と思い込み、偉そうに説教をする。

 でも、5人に一人くらい、解っている僧職者もいました。解っていて、それが、日本に仏法を広めるために必要だったと熱く語ります。そんなお坊さんなら、尊敬できます。

 米不法移民問題と日本の少子化問題   2006/05/16

 キリスト教原理主義的な色合いが強く、キリスト教徒以外を人間と認めていないのではないか(バチカンはかつて、「異教徒は人間と認めない」と正式見解を表明していた)と疑ってしまう ブッシュ米大統領です。特にイスラム教に対しては、露骨な反感と、信じられないほど非常識きわまる狂人的な発言が続いていましたが、15日の演説は理性的かつ論理的な良い内容と評価します。

 不法に越境しようとするメキシコ人には断固拒否を表明しつつも、現実として多数の不法移民が流入し、労働者として働いている現実をも認め、恩赦や愛ではなく、市民の義務としての税の負担などを 条件に滞在を認めようとの主張だったからです。この発言を私は支持します。

 まあ、メキシコ人も大半がキリスト教徒(カソリック)だから、寛容なのかも知れませんけどね。

 同じことが日本にも言えると思います。

 力仕事や汚れ仕事の職種の労働者や夜の商売の業界に、アジアを中心とした海外からの不法・不法まがい(芸能人ビザで入国しホステスをするなど)の男女が多数入国しています。 まあ、よほどの不法行為(悪質な売春やドラッグ売買など)を起こさない限り、それほど神経質になっていない取り締まり当局ですが、それでも、表に出てしまうと、国外退去等々、厳しく罰せられます。 また、日本人との間にできた子供も、非婚姻であれば、なかなか日本国籍が与えられない。けして、寛容とは思えない対応です。

 不法に入り込むのは困る。阻止する努力は必要だ。しかし、入ってしまって、定着している彼らには、市民としての一定の義務を負わせることにより定着を認めるべきだと思っています。

 なにしろ、現代の日本では、少子化が原因となり、年金や税金を納める勤労者が少なくなっていることが問題化しているのです。それを補うには、海外から勤労者を補充するしかないと、私は思っています。

 不思議、次々とWinny被害   2006/04/05

 まったく持って、理解に苦しむWinny被害の拡散です。

 防ぐのは簡単です。ウイルスに感染してしまっている場合はすでに情報が漏洩してしまっているのですから手の施しようがありませんが、まだ感染していない のならば、インストールされているWinnyを削除すればそれで終わりなのです。

 機密情報や顧客情報など、漏れたとしたらニュースになるようなデータを保有しているパソコンユーザーならば、最初の報道がなされた時点で削除するのが常識ではないでしょうか。

 それが、すでにかなり時間が経過しているのにもかかわらず、今でも流出が続いているとしたら、そのユーザーの意識は信じられないほど低いということになるでしょう。

 最初の頃ならば、もっとも悪いのはウイルスを撒き散らした人間と言えたと思いますが、現時点となると、流出させた本人も悪質です。間違いでは済まされない。

 ウイルスの存在を知っていて対策しなかった人間には、厳罰を持って対応すべきです。罰則規定を設定した法整備が必要と思います。

 普通の日本人の宗教感   2006/04/02

 世界を理解するには宗教を理解しなければならないと私は思います。宗教を日常生活の規範としていない国は珍しい。その一つが日本ですから、日本で暮らすだけなら宗教など知らないでも良いのですが、世界の情勢を 正しく理解しようと欲すると、正しい宗教知識は無視できません。

 さて、日本人の根底にある宗教は何なのでしょうか?

 ほとんどの日本人は、仏教と答えるでしょう。どこかの宗派に所属する仏教徒では無いにしても、親が無くなれば仏式で葬式をする日本人が大半ですし、お寺に自分の家のお墓を持っている人がほとんどでしょう。

 では、仏教とは何なんでしょうか?

 葬式をし、祖先の供養をするのが仏教と思っていませんか。

 それは、仏教ではありません。

 仏教は、祖先の供養はしないのです。

 仏教の根幹は「輪廻転生」です。

 人は死んでも、魂は残り、一旦は天国と地獄に行くけれども、生まれ変わって次に世の中に生まれ変わる。そう考えるのが仏教です。

 よって、祖先を供養するなんて考え方は仏教には無いのです。祖先は、それが優秀な祖先であればこそ、生まれ変わっているのです。 生まれ変わり、もう、天国にも地獄にも居ない魂を供養するなんて意味が無いですね。祖先の魂を供養する行為は、仏教の根幹理念と矛盾するのです。

 祖先を供養する仏教は日本だけのオリジナルです。

 つまり、日本の仏教と呼ばれる宗教は、ブッダが興した仏教とはまったく違った別の宗教なのです。

 祖先を祭り、供養するのは、仏教伝来以前から日本にあった、神道による「氏神信仰」なのです。日本仏教は、神道の伝統を受け継いでいるだけなのです。

 聖徳太子以来、日本は、神の子孫であるとする天皇家を中心とした神道と儒教をも包含した道徳としての仏教を為政者に都合の良いように組み合わせた「日本式仏教」を創作し続けてきたのです。

 明治時代まで、神道と仏教は事実上合体していました。それが、封建君主制に都合が良かったからです。

 明治政府が樹立され、御旗と利用した天皇を「神」とすることが都合が良かった薩長土肥出身の、いわゆる明治の元勲と自ら呼ばせた破廉恥なならず者により、神仏分離運動が起こりました。 まあ、そもそも、仏教と神道は別なのですから、それを別にすることは間違ってはいなかったですけどね。

 ただ、明治政府で幹部となった九州や四国の田舎物達は、宗教を正しく理解するだけの教養が無かったのです。葬儀が仏教だから、祖先の供養も仏教のテリトリーとしてしまったのです。

 そして、神道を、ただただ、天皇家を崇め奉る宗教としたのです。日本の文化を彼らは壊したのです。その生き残りの亡霊が「靖国神社」です。

 そもそも神への信仰とは、集団の幸せを願う宗教です。一つは、豊かな実りを祈る祭りを中心とした信仰とその中心としての神社ですし、もう一つは、血の繋がりを基とした一族の反映を 祈願する氏神信仰です。これが、日本のオリジナルな神への信仰心なのです。

 本来の仏教は、個人を高め、仏になる(死んで仏になるという意味ではありません。もっと深い意味での仏です)ことを目指す精神性の高い宗教です。個人の幸せを目的としている宗教なのです。 よって、他人に布教などしないのです。タイやカンボジア、中国の仏教は今でもそんなスタイルです。来るものは拒まず教えるが、去るものも追わない。布教して勢力を伸ばそうなど考えもしないのです。

 でも、日本の仏教は違う。それは、日本人の性格に起因するものもあると思います。日本人は、少しでも他人よりは知識が深まり、自分が上になったと思うと、偉そうに他人を指導をしたがるのが日本人です。 よって布教をしたがる性格なのです。まあ、それが日本人の性格なのですから、一概に悪いとは言いにくいし、無知な人を知的な人が教えさとし、それで人が救われるのならば、それも良いことです。 そんな、日本人の気質に合った日本式の仏教があっても良いと私は思います。

 祖先の霊を敬い祀ることは大切なことです。神社が、祖先の霊を供養することをしないのですから、お寺がそれをしても良いと私は思います。日本の仏教は日本のスタイルで良いのです。 それが本来の仏教と違うからと言って、お寺に墓守と祖先の供養を止めろとは言いません。

 ただ、この文章を読んでいただいている方には解って欲しいのです。こんな小さな日本列島に住む日本人は、国際化しなければ生きては行けません。そのためには、自分の常識が 必ずしも正しくないということを理解して欲しいのです。宗教については特に微妙なのです。日本人もスタンダードで無ければ、中国人も韓国人もスタンダードでは無い。 そもそも、宗教にはスタンダードなど無いのです。そしてその行為を「内政干渉」なんて外交的な言葉で言い張る無知さが困るのです。

 外交は国益のための自国主張ではあるものの、宗教は文化を理解し、それぞれの国の国民感情を理解しバランスを考慮して主張するべきだと私は思います。

 無理解、理解を拒否する態度は、国家の指導者のあるべき姿ではあるとは思えません。宗教の本質を何にも解っていないのに、意固地になって靖国神社に参拝する ことが、日本の指導者として当然だなどと、間違った思い込みをする指導者では困ります。

 宗教の本質をよく理解し、国際感覚を持って行動する人を指導者として持ちたいと思っています。

 立証責任   2006/03/03

 不確かな電子メールの印刷らしき『紙』を基に、国会で紛糾が起こりましたね。

 追求された側は、内容が正しいことを立証しろと主張したのに対し、追求側は、その内容が間違っていると言うのなら、それを立証しろと主張し、退けられました。

 日本の、いえ、大多数の国の訴訟では、訴えた側が証拠を示し、訴えられた側がそれに反証を持って覆そうとする。訴えた側に、まず立証責任があります。

 よって、今回の追求側の言い分には、常識的に無理があったのです。

 そんなことを考えていたら、気が付いたことがあります。

 香港に住んでいた頃、ある、特殊な検察組織があることを知りました。

 その組織は、元々は、腐敗した警察官を糾弾するための特殊組織だったようですが、現在は、不正、特に官がからんだ不正や、公的な資金が投入されている事業、 公共住宅や社会福祉に関連して起こる不正を追求する使命をも持っている組織として機能しているようです。

 この特殊検察は、市民からの『密告』を奨励しています。市内各所の目立ち難い場所に事務所を開設し、賞金までだしているようです。

 密告を受けると、組織はその内容を吟味し検証して最後は訴訟になるのですが、面白いのは、この組織が提訴する裁判に限り、立証責任は訴えられた方にあるのだそうです。

 証拠を提出せずに訴えることができるのです。考えてみると恐ろしいことでもあります。突然訴えられ、潔白は自分が証明しなければならないのです。

 まあ、それが許されているのは、それだけ、この組織が信頼されているからなのでしょう。事実、その職員は超エリート集団のようです。市民から見るとヒーローです。 この組織をモデルにした人気テレビドラマも放送されていました。

 また、『密告』が起爆剤になっている訴訟です。情報元を公表せずに訴えるのですから、厳密な意味で立証責任を訴える側に求めたのでは、果敢な活動ができないとの 判断もあるのでしょう。もちろん、それに甘えることなく、水面下の調査はしっかりと行ってから、訴訟には持ち込んでいると思います。

 政治家や官僚、警察組織にも不正はあります。日本にも、適用範囲は厳密に決める必要はありますが、立証責任無しに追及できる検察組織(もちろん、既存の警察や検察とはまったく別の組織として)があっても良いのではないかと思います。 難しい組織とは思いますが。

 子供の命を救う   2006/02/09

 このホームページのいくつかのページにNGO団体「セイブ・ザ・チルドレン」のバーナーを入れました。

 世界には、特にアフリカヤ南アジアには飢えや風土病に苦しみ死んで行く子ども達が数え切れないほどいます。

 地域には、その地で生み出すことのできる食料に比例した養える人の数に限りがあります。自然の状態では、生かせる人の数しか子供は生きてゆけず、それで自然のバランスが保たれます。

 地域の許容量を越えて生まれた子供は死んでもしかたがない。生かすことが、逆に次なる悲しみを生む。そんな観点から、飢える子供を知りながらも、これまでは目を背けてきました。無知から子供を生み続ける大人が悪いと。

 その考え方は今でも変わってはいません。でも、現実に、生まれてきてしまった子供に罪は無いのです。年を取るほどその思いがつのってきています。

 焼け石に水とも思いますが、そんな子供を救おうと、頑張っている団体に、ほんの少しの寄付をしても良いのではないか。思うようにもなりました。

 歳を取ったのかも知れません。弱気になったのかも知れません。でも、無理なくできる寄付はしても良いのかな、そうを思っています。

 バーナーをクリックしてください。どうすれば、ささやかな寄付ができるか、そこには書いてあります。豊かな日本、そこに暮らす私たち。できる、少しのことをしましょう。

 東横イン刑事告発   2006/02/06

 事件が起きる。窃盗や殺人事件などの事件はともかく、経済犯罪に近い会社がらみの事件では、事件を引き起こした会社の社長がコメントを求められると、

「私は知らなかった」

「犯罪とは認識していない」

 あるいは、

「責任があるのは当社ではない。XXXが問題だ」

 そんな発言が多いものです。

 最近の事例では、前者はライブドア社長、後者は耐震偽造事件でのヒューザー社長の発言がこれに近い。どちらも、責任回避を狙っての発言ではあるものの、 実に人間的でもあると思います。だれしも、後ろ指差されたら逃げようとするものです。素直に認めないことは良くないことですが、解る気もします。

 驚きました。東横インの不正改造問題が発覚したときの社長の発言です。

「こんなこと普通じゃない。どこでもやってるよ」

 そう言っているのとほとんど同じに感じました。少なくとも一流企業の社長の発言ではないと感じたのは私だけではないと思います。 あまりにも低レベルな発言であり人物です。社長がこれでは、不正改造なんて当たりまえと社員は思っているでしょう。そんな社員が運営するホテルなど危なくて宿泊できません。

 国交省が、不正改造されたホテルの所在地である自治体に、刑事告発を指示したとのこと。当然です。ホテル業界全体の信頼感を損ねるような馬鹿な発言をした東横イン社長個人に対しては、 業界から永久追放するくらいの措置も必要と思っています。

 起こった事件としては、耐震偽造事件に似通ったところがあります。どちらも、国が決めた建築基準に従わないことに罪悪感を持っていないのです。

 発覚したから責任問題になった。『交通事故に遭ったようなもの』そんな感覚が裏に潜んでいるのではと思います。

 その背後には、建築基準に対する信頼性の無さがあるのではないでしょうか。いえ、建築基準だけではないでしょう。最近はあまりニュースになっていませんが、 以前、食品衛生法の違反事件が多発したことを記憶していることでしょう。国の基準に対する信頼性が低いのではないでしょうか。

『役人のすることだから、自らの責任回避のため、いたずらに基準を重くしている。多少、ごまかしてゆるめに管理しても(その方が商売としてうまみがあるから)、 実害はないだろう』

 そんな感覚が国民に広まっているとしたら問題です。

 政治不信と役人不信に規制数値への不信、ひいては、法律に対する不信。

 今、大手企業において、コンプライアンスの遵守が声高に叫ばれているのは、いったい何なんだろうか。

 考えさせられる事件です。

 謹賀新年   2006/01/03

 新年あけましておめでとうございます。

 一人こつこつと運営しているこのホームページも、4回目の正月を迎えることができました。続けられているのも、ご来場いただいているみなさまに励まされてのこと、心から感謝しております。

 バブルの崩壊以来、長く続いた不況下の日本経済も、少しずつ良くなっているようです。ただ、面白半分・ゲーム感覚での凶悪犯罪が目立って増えていることが気になります。

 凶悪犯罪ではないにしても、このホームページに設置している4つの掲示板に、悪質な広告書き込みが昨年末から急増しました。

 しかも、まったく同じ内容を数件も続けて書き込むのです。

 もし、本気で広告しているのならば、こんな、嫌がらせのような書き込みはしないでしょう。逆効果です。広告としては、まったく効果を持つとは思えない書き込みの仕方です。

 どんなつもりで書き込んでいるのかは知りません。しかし、行っている人は、少なくとも正常な理性や神経を持っている人ではないでしょう。 知能が劣る人か、気が狂っている人でしょう。なにも解らないで、指示された行為をしているだけなのではないかと思っています。 そんな連中に負けはしません。

 だれでも公平に使えるインターネットですが、悪意を持って使う者たちを規制する効果的な方法が見当たらないのが残念です。

 新年早々、苦言になってしまいましたが、どんな嫌がらせにも屈することなく、明るく楽しく。それがこのホームページのモットーですので、 一人黙々と運営を続けてまいります。

 ご覧になっていただいているみなさまのご支援に感謝しつつ、新年のご挨拶とさせていただきます。


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hpmanager@albsasa.com 佐々木