| 江戸日記 第二話 酒盗人(さけぬすみびと) 発表日 2002/11/03 |
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大学に入って最初の夏休みだった。 東京での新しい生活環境に、慣れるだけて精一杯、まだ友達も少なく、一緒に遊びに行く計画も立てられなかった。 しかたなしに帰った実家だった。 東京で暮らしている時には、なにも感じなかったのに、郷里に帰って気がついた。初めて経験した一人ぼっちの暮らしが、 子供だった自分を、すっかり大人に変えてしまっている。たった三ヶ月間離れたただけの故郷だったが、ここには、 子供としての思い出しか残っていない。大人になった自分とは、すっかり遊離した存在に感じて馴染めなかった。 何となく心さびしく、かと言って外出する気にもなれず、ゴロゴロと部屋にこもって数日を過ごしてしまった。 その日は朝からどんよりと曇った空模様だったし、部屋にいても気が滅入るだけだったので、下駄を引っ掛けて 裏庭に出てみることにした。裏には、大きな酒倉が並んで建っているのだが、西の外れに、まるで今の僕の様に、 場違いに、ひっそりと、その小さな古い倉があった。物置の代わりに使っている倉だったが、その中には、いつの 頃からそこに有るのかもわからないような古い収納物も入っている。 子供の頃には、友達とかくれんぼをしたりして遊んだ倉だが、成長するにつれ関心が無くなり、ここ数年は入った 記憶もなかった。何気なく入った倉は、厚い漆喰で守られた別世界だった。夏の熱気や湿気から適度に遮断され、 ひんやりとして気持ちが良かった。 (古い物でも整理してみようか) そんな気持ちになった。 倉には、板敷の中二階があった。小さな階段で上るのだが、板を組合わせただけの簡素な造りで、とても重い物を 持って上がることなどできそうにない。重く大きな荷物はすべて一階に収納されており、二階には細々した物や、 めったに出し入れしない古い物が多かった。子供の頃にも、滅多に二階には上がったことがなかった。 (本当に何年ぶりに上るんだろう) そう思いながら、ギシギシと音をたてる階段を登った。 一階には、電燈線が引き込まれており、電球が吊るされていたが、二階には何の照明設備もなかった。小窓が、 東西の面に一つずつ有り、明り取りの役目をはたしている。おそらく、何年も開けたことがないと思われる、 重い漆喰の窓を押し開いた。曇り空の淡い光が室内にさし込み、薄暗く陰気だった中二階にも命が吹き込まれた。 そこには、古びた木箱がいく段にも積み重ねられ、箱にはおびただしいほこりが積もっている。そんな中でも、 ひときわ古めかしい箱が目に付いた。墨で書かれた箱書きも消えかかり、何が書いてあるかはわからなかったが、 みょうに気にかかり、開けてみる気持ちになった。上に重ねられた箱を降ろし、その古箱を引きずり出した。 箱の中から出てきたのは、古い日記帳だった。「奉公日記 太助」という文字が読めた。 我が家は、江戸時代の中期から続く、造り酒屋「菊乃酒造」である。「太助」は、江戸末期の主人で、 それまでは田舎の一造り酒屋でしかなかったこの家を、全国的にも知られる、有名な酒造元にした、中興の粗だった。 我が家は、なぜか代々男の子に恵まれず、婿を迎えて主人としていた。男の子である私が生まれた時には、 「天変地異が起こる」と、本気で心配した古老もいたという。 「太助」は、私の祖父の父、曾祖父の名前だった。もっとも、家督を継いで、主人になると、 「勘右衛門」を名乗る習わしだったから、この日記は、婿になる以前、江戸での奉公時代の物だろう。 太助は茨城は水郷の生まれで、十三才の時に日本橋にあった「天満屋」という酒問屋に奉公した。 もともとまじめな性格の太助である。身を粉にして働いたし、影日向のない態度であったので、店の主人や番頭、 先輩の手代達にもかわいがられていたという。そんな太助が、十八才になり手代に昇進した頃、酒を送る荷駄とともに、 江戸に上った曾々祖父「勘右衛門」に見初められた。ちょうど娘が年頃で婿を探していた勘右衛門は、 太助を婿にと申し入れたのだった。水飲み百姓の次男として生まれた太助だったから、縁談はとんとん拍子に進み、 私の曾祖父となったのだ。 日記は、数年分・十数冊もあった。書き始めの頃の物は、まだ文字も幼稚で読みにくかったが、 パラパラと拾い読みするうちに、その内容に引き込まれてしまった。 商家の奉公人といえば、今は小僧でも、いずれは手代にもなり、番頭にもなって、店を助けて働き、 いずれは「のれん」を分けてもらい、支店となって主家の支えとならなければならない。小僧のうちは、 研修期間のようなものだ。 天満屋では、まだ子供の小僧であっても、修行のために「利き酒」の訓練を受ける。今のように品質の 良い酒がメーカーから好きなだけ仕入れられる時代では無かったのだから、酒の品質鑑定は奉公人にとって 重要な仕事だった。太助は、年の割には身体も大きかったし、もともと酒に強い体質だったと見えて、 仲間の小僧達が、ほんの少しの酒で、ていもなく酔ってしまうのに、はるかに年長の手代と飲み比べても負けなかった。 それはそれで、酒問屋の奉公人としては、優れた素質ではあるのだが、心配性の番頭は警戒した。 「酒問屋の奉公人はね、酒に強くなくてはいけませんよ。でもね、酒に溺れる奉公人はこまります。お前達、 太助の様子には十分注意をしておいておくれ」 けして意地悪で言っているのではなかった。太助を思う気持ちからの、心配だった。 天満屋は大きな酒問屋だったが、卸しだけの商いではなく、近くに住む貧しい長屋の住人のためにも、 計り売りで小売りをしていた。良質の、高価な酒は、倉の中に納めており、料理屋や、武家屋敷に配達する。 庶民用の安い酒は、酒樽を土間にいくつも並べて、客の求めに応じて、升で計って売っていた。 「私はね、ここに座っているだけで、樽の中の酒の量が、どれだけ残っているのかちゃんとわかりますよ。 ですからね、こっそり盗み飲みをしても、すぐにばれてしまいますからね」 喜作は、口癖のように言っていた。 手代が、残り少ない樽から、残量を確認もしないで、客の持ってきた「貧乏徳利」に酒を入れようとすると、 「これこれ、その樽にはもう二・三合しか残っていませんよ。奥から新しい樽を運んでおいで」 と、注意をする。これがまた、不思議なくらいに良く当たった。 喜作がまだ若く、番頭に成り立てのころのこと、天満屋の奉公人の間に、盗み飲みが横行した。 天満屋の主人は、 まだ若かったし、いたって気の良い鷹揚な性格だったから、黙認していたが、商売熱心な喜作が、 その量を計算してビックリした。 一人一人の盗み飲む量はたかが知れているが、なにしろ人数が多い。それが、 一年間の量となると、ばかにならない金額になる。 喜作は、口をすっぱく奉公人に注意をしたが、 一向に止まなかった。 そこで、奉公人の盗み酒を監視するつもりで、毎日、樽の残量を確認した。 そのうちに、 帳場に座って、客と応対する手代や小僧の動きを見ているだけて、残量がわかるようになっていた。熱心さが、 一種の「特技」にまでなっているのだった。 酒屋の奉公人がこっそり店の酒を盗み飲みする、これが、店にとって、 また、将来一人前の商人になろうとする奉公人自身にとっても、最も良くないことである、そう確信している喜作だった。 そんな喜作の努力のによって、ここ数年、盗み飲みはすっかりなくなっていた。 江戸の町はさすがに大都会である、天満屋くらいの大店になると、店に入ってくる客だけでも日に百人にもなったし、 店の前に立って銭を恵んでもらう「物乞い」が、多い日では五・六人も立つことがあった。 「物乞い」は、ある者は歌を歌い、またある者は僧侶の姿で「経」を読み、その日の糧を得ていた。 大きな店では、そんな「物乞い」のために小銭を紙に包んだものを用意してあって、番頭の座る机の小引出に 入れている。店先で「物乞い」の声を聴くと、気がついた小僧が番頭から包みを受取り、渡していた。 小僧という身分は、店では最下級の奉公人である。そんな彼らにとって、唯一自分より目下の存在であるそんな 「物乞い」に、日頃のうっぷんをはらす者も多かった。しかし、生まれながらに気の優しかった太助は、 「物乞い」にも親切に応対していたようだ。特に、数日の間隔で店先に立つ年老いた僧侶には、別れてきた故郷の、 祖父の面影を見ていたようだ。銭の包みを渡す時に、主人や番頭からもらった、饅頭や餅などをこっそり与え、 一言二言と言葉をかわしている。そんな光景が日記からうかがえた。 「お坊さま、寒くなりましたねぇ」 「そうよなぁ。昨夜は、寒くてよう眠れんだったわ」 「それは、いけませんねぇ。お身体を大切にしてくださいね。これは、番頭さんからいただいた大福の残りですけど、 良かったら食べてくださいね」 「小僧さんは、親切にようしてくれるのう。おかげで、今日はひもじゅうもならず、暖かく眠れそうじゃ。 ありがとうよ」 何度も何度も、頭を下げる僧侶だった。 喜作はこのところ自分の感が狂うので、面白くなかった。まだ残っているとばかり思っている樽なのに、 小僧が入れ替える。何度か、わざわざ立って行って中を確認したのだが、確かに空だった。代金を計算しても 合わない。明らかにだれかが中身を抜いている。 (いったい、だれが抜いているんだろう) 注意をして見ているのだが、なかなか現場を押さえることができなかった。 まず疑ったのが、「盗み飲み」だった。 (日中に飲むわけはない。それでは顔にでる。隠れて、夜にでも飲んでいるんだろう) そう思い、夜中にこっそりと小僧や手代の部屋を見て回ったが、そんな素振りは発見できなかった。 「これはきっと、誰かにタダで渡しているか、こっそり横流しをして、小使いをかせいでいるに違いない」 そう思った喜作は、奉公人達の行動を監視した。そして、酒の少なくなる日を調べた。 (店先に、年寄りの坊さんが来る日に限って、少なくなっている) その事実を発見した喜作は、小躍りして喜んだ。 (ようし、あとは渡している現場を押さえれば、だれが犯人かわかるわい) 喜作は、僧侶が現れるのを、わくわくしながら待った。 その日がきたのは、それから二日後の夕方だった。僧侶が店先に立って、「経」を唱え始めると、 ちょうど手がすいていた太助が気がつき、喜作のもとに銭包みをもらいにきた。そして、不思議なことに太助は、 そのまま店先へは向かわず、奥に入って行ったのだった。 (やや……) 喜作は目をみはった。しばらくして出てきた太助は、小さな紙包みを持っている。 (む、う……) 小僧の中では、最も信頼していた太助だったから、裏切られた気持ちになって、喜作は逆上した。 「お・おのれ、太助めぇ」 大声を上げ、座っていた帳場から立ちあがると、草履を引っ掛け土間に降りると、店先に走った。あまりの激怒に、 足元がふらついている。 喜作は、のれんをくぐって表に出ると、目の前で後ろ向きになって僧侶と話しをしている太助の肩をつかみ、 グィと引っ張って自分の方を向けると、太助の頬を、思いっきり引っぱたいた。突然のことに、太助は持っていた 紙包みを放り出し、ひっくり返って尻餅をついた。太助は、いったい何が起こったのかわからなかった。 喜作の目は血走り、こめかみには、青い筋が盛り上がっている。 「お・お前が、この坊さんにお店の酒を渡していたんだね。ま・まさか、お・お前だなんて、思ってもみなかった。 あ・あんなに目をかけていたのに、お・お前ってやつは……」 興奮して口が良く回らない。 じっと、この様子を見ていた僧侶が、喜作と太助の間に割って入った。 「これこれ番頭さん。落ち着きなされ。ほれ、そこに落ちている包みの中身は饅頭じゃ。酒ではないぞ」 「え……」 「で・で・でも……」 喜作は、それ以上なにも言うことができない。僧侶は、倒れている太助を起こし、付いた土を払いながら、 「すまんのぅ、太助さん。わしのためにとんだ痛い目をみたのう」 僧侶は、腰にぶら下げた瓢箪の紐を、帯から引き抜くと、瓢箪を喜作の目の前に突き出した。僧侶は、 その瓢箪を左右に振って見せた。瓢箪からは、ポチャンポチャンと音がして、中に液体が入っていることがわかる。 「番頭さん、悪さは、わしがしておったんじゃ。太助さんじゃあない。わしが寝酒にしようと思ってなぁ、 悪いとは知りながら、ちょくちょく失敬しておった」 喜作には、僧侶の言っていることが理解できなかった。僧侶は、一度も店の中に入ったことがない。 酒を盗むことなんか,出来るはずがなかった。 「お坊さん、あなたが盗んだとおっしゃるが、そんなことが出来るはずがないじゃあないですか。 た・太助をかばってそんなことを言ったって、わ・私は承知できませんよ」 そう言ってはみたが、太助の持っていた包みが、酒ではなかったと知って、喜作は動揺している。 「この店の酒は、あまり旨くはなかったが、わしがまじないをして旨くして飲んでおったわ。番頭さん、 太助さんは良い若者ぢゃ、こんな汚い乞食坊主に親切にようしてくれた。店への侘びと、太助さんへのお礼に、 これから太助さんが扱う酒は、わしが旨い酒に変えてやろう。これでかんべんしてくれ」 言いながら僧侶は、かぶっている笠の紐を解き始めた。いつも、深い笠で顔を隠している僧侶だったので、 これまで太助もその顔を見たことがなかった。僧侶はゆくりと笠を脱いで、二人に顔を見せた。 「あぁ……」 その顔を見ると、喜作は悲鳴を上げ、気を失って倒れてしまった。一方太助は、大きく目を見張ったまま、 放心したようになって、身体は小刻みに震えている。 「太助さん、もうこれで会うことも無いだろう。世話になったなぁ。約束は守るぞ。 お前の商う酒は、わしが、みんな旨い酒に変えてやる。良い商人になりなされ」 そう言うと、僧侶はスッと姿を消してしまった。 「クェッ・クェッ・クェーッ……」 かん高い、奇妙な声だけが、だんだんと小さくなりながら遠ざかってゆく。 表の騒ぎに気がついた手代や小僧達が、飛び出してきて、気を失って倒れている喜作を抱き起こした。 「番頭さん、番頭さん。しっかりして下さい、いったい、どうしたんですか」 必死に呼び掛ける手代の声に、ようやく気がついた喜作は、 「あ・頭に、さ・皿があった。あ・あれは、か・河童だぁ」 言い終わると、また、目を回して、気を失ってしまった。 僧侶の姿で、酒を盗みにきていた河童の約束は本当だった。日を置かずして、こんな噂が町中に広まった、 「天満屋の酒は、安くて旨い。特に太助さんが売ってくれる酒の味は絶品だ」 噂の広まるとともに、店はますます繁盛したし、太助が手代に昇進したのは、このすぐ後だった。 「菊乃酒造」の代表銘柄は、全国銘酒品評会で、何度も優勝している『河童泉』である。子供のころからの疑問だった、 (近くに、川も海もないのに、何でうちの酒に「河童」なんて名前がついているんだろう) 太助の、古い日記を読んで、そのわけが、初めてわかったのだった。 完 |