江戸日記より
江戸日記より 第四話 江戸の華     発表日 2002/12/23
「火事と喧嘩は江戸の華」そんな言葉が生まれるほど、江戸には火事が多かった。
 文化から文政にかけ、江戸の酒問屋「天満屋」に奉公していた曾祖父、太助の日記にも火事の記述が多い。
 天満屋は日本橋室町三丁目にあった。
 銀座から日本橋を渡り、湯島に向かう大通りに面していた天満屋の裏は、長屋になっていて、天秤棒1本で働くぼて振りの行商人や、長屋の居て作業をする居職の飾り職人など、その日暮らしの庶民が住んでいた。
 その長屋は、奥の共同トイレの隣に梅の古木があったことから「梅の樹長屋」と呼ばれている。板で蓋をしたドブを挟んで向かい合わせ、二列に並んだ長屋の片方の奥の家は、この梅の木を避けるように造られ、他よりも少し狭い。その分だけ、他よりも店賃が安い。
 この家に、音吉という少年が、両親と住んでいた。
 音吉は十二才、年齢の割には大きい身体だったし、気性も勝ち気でわんぱく、典型的な餓鬼大将だった。
 法に触れるような悪いことまではしなかったが、近所の子供達を集めてするいたずらは少々度が過ぎていた。そんな音吉だったから、付近のおかみさん連中からは嫌われていたが、太助とは妙に気が合った。太助は音吉を弟のように感じていたし、音吉も太助を兄のように慕っていた。
 天満屋は酒問屋と小売りの酒屋を兼ねていたから、午前中は酒屋や料理屋からの仕入れの客で忙しい。それが夕方になると、その日の稼ぎでささやかな晩酌を楽しもうという庶民が、「貧乏徳利」をぶら下げて量り売りの安酒を求めにきてやはり忙しかった。
 そんな忙しい店だったが、昼過ぎからの一刻ばかりの時間帯だけは、ぱったりと客足が絶えた。天満屋ではこの時間帯に奉公人を交代で休ませることにしていた。

 冬のある暖かい日、太助は店の裏庭の日だまりで休んでた。
 店の裏の木戸は、夜にはかんぬきを掛けて戸締まりをしているが、昼間は開いている。出入りの職人や物売りは、この木戸をくぐって台所まで自由に行来が出来る。
「兄ちゃん」
 木戸を半分開けて中を覗いた音吉は、そこに太助の姿を見つけると入ってきた。
 何年も着ているのだろう、すそが短くなってふくらはぎまで見えるような短い着物を着た音吉は、きょろきょろと周りを見渡して、誰もいないことを確認してから、入ってきた。
「音吉。おまえ、お腹ぁ、すいてるかい」
 太助は、ふところから取り出した「干し芋」を二つに分けて、片方を音吉に与えもう一方は自分で食べ始めた。
 太助は、音吉について長屋のおかみさん連中が噂している話しを聴いている。
「音吉、いたずらするのは楽しいのかい」
「おれは別に、いたずらなんざァしてるつもりはねえよ。太助兄ちゃん」
 干し芋を頬張りながら音吉は、しらばっくれている。
「おう、そうかい。それじゃあ、ぼて振りの虎助さんとこの、おみよぼうの背中に、野良猫をくくりつけたのは、いたずらじゃあないのかい」
 一瞬ぎくっとした音吉だったが、知らぬふりをよそおいながら、
「いたずらじゃァねえさァ。おみよがよォ、人形を背負いてェんだが、持ってねェってゆうんで、野良猫をひっつかめえて、背負わしてやったんだぜェ。おらァ、悪いことなんざァしてねえよォ、ほめてもれェてぇくれェだィ」
 胸を張り、口を尖らせて威張っている。
 そんな様子を見て太助は可笑しくてしかたがなかった。
「でもなぁ音吉。その猫があばれて、おみよぼうの髪から首筋から肩まで、引っ掻き傷だらけになって、かわいそうに三日も寝込んだっていうじゃあないか」
 弱いところを付かれた音吉は、落ち着きがない。
「そりゃァおれも聞いてるよォ。おみよにァ、かあいそうなことをしたって思ってるさァ……」
 音吉は、足元に転がっていた小石を、軽く蹴った。
「なぁ、音吉。わたしはお前が本当は気の優しい子だって思ってるさ。でもなぁ、お前のすることは荒っぽ過ぎるよ。もう少し頭を使って、後先のことを考えてからいたずらすることだなぁ」
「分かっちゃァいるんだけどさぁ、太助兄ちゃん。おらァ江戸っ子でちィとばかり気が短けェんだよなァ」
 精一杯つっぱる音吉の態度は、ほほえましかった。
「こいつめ、十二の子供が、江戸っ子もなにもないだろうが」
 笑いながら太助は、拳をまるめてごく軽く音吉の頭を叩いた。
 一瞬首をすくめた音吉だったが、つれられた笑いだした。
 二人はまるで仲のよい兄弟のようだった。

 太助は今年の正月、木で造った船の模型をプレゼントした。
 それは太助がまだ子供だった頃、故郷の水郷で使っている船を摸して自分で作った物だった。江戸に奉公に上る時、手放し難く持ってきていた。
 屋根もなければ帆柱も舵も無い、単純な構造の船だったが、本物そのままに作られたその船は、見事な造りだったし太助の自慢の一品だった。
 音吉もまねをして、同じような船を何箇か作ってはみたが、太助の物にはとても及ばなかった。
「どうしておれが作るとうまくできねェんだろうなァ」
 いつも、首を傾げていた音吉だった。
 去年の大晦日、夜五ツ(八時)過ぎ、年末の見せの仕舞いが終わってから、長屋の音吉の家を訪れた太助は、風呂敷に包んだその船を音吉に渡した。
「明日の正月で十二になるんだよな。この船はね、わたしが十二の時に作ったんだよ。これをおまえにあげよう、おまえが十二になる記念にね」
 風呂敷を開けて中の船を認めた音吉は、目を輝かせて、
「太助兄ちゃん、これ、ほんとにおれがもらってもいいのかい」
 何度も何度も、しつこいくらいに繰り返してたずね、顔中をくしゃくしゃにして喜んだ音吉だった。

 それは、明け方の火事だった。
 火元は音吉の家の隣り、一人者の大工が住んでいた。部屋の隅に置いてあった火鉢が、寝返りを打ったひょうしに転がった。火鉢にはまだ火が残っており、障子に燃え移った。
 火はあっと言う間に燃え広がり、町火消しが到着するころには両隣にも火が移っていた。
 あまりにも火の廻りが早かったので、音吉の家では最低限の生活必需品を持ち出すだけで精一杯だった。
 音吉は燃え盛る火の中に二度までも入って、両親と共に家財道具の運び出しをしたのだが、自分の物を持ち出すことはなに一つできなかったという。
 さいわい発見が早かったし、火消しの到着も早かったので、燃えたのは火元と両隣の家だけで消し止められ、路地を隔てた天満屋には燃え移らなかった。
 天満屋では消火が一段落した六ツ半(午前七時)頃から、飯を炊き、汁を作って、焼け出された三軒の住民に差し入れをした。太助も、なれない手つきで飯を握った。
 ようやく騒ぎが治まり、現場検証に出張っていた町奉行所の役人が引上げたのは、もう昼に近い時間になっていた。
 太助は朝の残りの握り飯に味噌を塗り、火であぶって作った焼むすびと、沢庵を数切れ竹の皮に包み、竹筒に水を入れた水筒とを持って音吉を探した。
 音吉はすぐ見つかった。音吉は焼け落ちた自分の家の押し入れのあたりを、棒切れでかき回していた。
「音吉、昼飯にしようや。こっちへおいで」
 うずくまった音吉の背中に太助は声をかけた。
「お店に棟梁が来てたよ。だんなさまの話しじゃぁ、明日にも焼け跡をかたずけて建て直しを始めるそうだ。それまでおまえ達は店の方で寝泊りして、出来上がったらそのまま移ればいいってさぁ。よかったなぁ、音吉。新しい家に住めるよ」
「梅の樹長屋」は天満屋の所有だった。
 番頭の喜作が家族とともにその一軒に住んで、家主を兼ねている。
 元々古くなって建て替えを考えていた天満屋の主人は、この機会に長屋全体を新しくする決心をしたのだった。
「何をそんなに一生懸命探しているんだい」
 必死で探し物をしている音吉は太助の呼びかけにも上の空で、太助の呼び掛けに振り向きもしなかった。
 太助は包みと竹筒を路肩に置くと、音吉のしゃがんでいる焼け跡に入っていった。
「自分の物は、なんにも持ち出せなかったんだってね」
 音吉の背中に話しかけた。
「火の回りが早かっただよォ。かあちゃんの着物を持ち出すのがやっとだった。でも、かあちゃんが、おれの着物を持って出てくれたから着るもんにはこまらねえぜェ」
 音吉は、意外にも元気な様子で、いつもどうりの悪戯っぽい目が太助を見返した。
(どおやら、元気なようだな)
 太助はほっとした。
 もし音吉が、焼け出されてがっくりと気落ちしていたら、どうやって慰めて良いのだろうか、心配していた太助だった。
「おもちゃでも探しているのかい」
 安心した太助は、拾った棒切れで焼け跡を掘り返しながら音吉に聞いた。
 音吉はしばらく黙って掘り返していたが、ポツリと言った。
「兄ちゃんに貰った、あの船探してんだァ」
 意外な音吉の言葉に、ビックリした太助だった。
「あ。あぁ、あれか。でもねぇ、音吉、あれは木でききてるんだから、すっかり焼けているんじゃないかな」
 音吉が宝物のように大切にしていたことを太助も知っている。
 それは、音吉の家での、ただ一つの家具とも言える小さな箪笥の上に置いてあったはずだ。
 その箪笥はすっかり焼けただれて、崩れた残骸が無残にちらばっている。その上にあった木製の船が、原形を留めているとは思えなかった。
「いいよ、音吉。また作ってやるよ。あれを作ったときは、わたしもまだ子供だったから、細工も簡単だったけど、今なら、もっと立派なのが作れるさ」
 音吉の太助の作った船に対する愛着の深さを知らされて嬉しく思った太助である、慰めるつもりで言った。
 しかし、音吉は探す手を休めなようともしない。
「兄ちゃん、焼けカスでもいいんだァ。きっちり残っているなんて、おらァ思ってねえョ。それでもいいんだァ、どうしても、見つけてェんだよォ」
 音吉の声が、震えている。
「おらァ、物を探してるんじゃあねえんだよォ。おらァ、兄ちゃんとの思い出ェ探してるんだよォ」
 たまらなくなって、太助は音吉の肩を後ろからしっかりと抱きしめた。

                                 完



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