Bar・ロア(大人の夜話)

第三話 生い立ち     発表日 2002/12/07


 梅雨が長く続いて寒々として始まった今年の夏は、九月になっても暑い日が続く、異常な夏だった。
 うんざりするような残暑の九月は、世間の景気や天候などにはほとんど影響されないここ「ロア」にも、少なからず変化をもたらし、さすがに客は減っていた。
 今日も暑い日だった。それでも、常連客が何人か挨拶程度にやってきたが、早々に帰っていった。そんな熱苦しい夜だった。

 彼は、今年の始め頃から時々きては、カウンターの隅で静かに水割りを飲む、そんな男だった。
 上質のスーツを着、上品ではあるが、かなり派手な装身具に身を包む彼は、注文する酒もこの店では最高級の銘柄だった。
(サラリーマンではないだろう)
 そう感じていた。

 日本人にしては整い過ぎた顔立ちと、柔らかく金色がかった髪が、彼にアングロサクソン系の血が混ざっているであろうことを思わせた。
(小さな貿易商社のオーナーかな?)
 そんなふうに思っていた私だった。

 BGM用のオーディオセットは、カウンターの奥の壁にセットされている。若い頃からオーデォマニアを自他とも認めていた私だったから、この店が喫茶店ならば、凝った装置でも置いて黒光するLPを廻すところなのだが、バーでは似合わない。以前は、気に入ったレコードをカセットテープにコピーして再生していたが、最近はCDを直接セットするようにしている。客との応対の合間にCDを取り替えるのだが、客が立て込んで忙しいときには、CDが終わると自動的に有線放送のジャズのチャンネルに切り替わるように設計してある。


 十一時を過ぎた頃、常連の客が帰り、店には彼一人が残った。
 しばらく有線放送になっていたBGMをCDに切替え、私の気に入りの1枚をCDプレーヤに乗せた。
「MJQの『エコーズ』だね。84年の録音だったかなぁ。コニーがドラムスに加わって、最初のアルバムだったよね」
 それは、久しぶりにかけたCDだった。
 ヴァイブとピアノの音が静かに流れ始めたとき、珍しく彼は、私に話しかけてきた。
「そうですね。10年ほど活動を停止していた後に、再開したMJQのファーストアルバムでした」
「マスターもMJQが好きだったのかい」
「ええ、74年の解散のときが、ちょうど夢中になってジャズを聞き漁っていた頃でしたよ。解散と知って、あわてて買い残していたアルバムを、友達に借金してまで買ったのを覚えています」
「うん。ジャズのレコードは、品切れになるとなかなか手に入らなかったからなぁ」
 肘をカウンタにつき、両手で水割りのグラスを持ちながら、彼は昔を思い出しているかのように、まるで独り言のように話す。 「時代がCDになったおかげで、昔買えなかったアルバムが、復刻版で出るのがうれしいですね。若い頃には、買いたくても買えなかったアルバムが、今になって手に入る。いい時代になりました」
「マスターはいいなぁ、こうして毎日好きなジャズを聴きながら仕事をしているんだろう。おれも、若い頃はジャズが好きだった。レコードもずいぶん集めたんだが、最近は音楽を聴く、そんなゆとりなんてまるでなくなってねぇ、……。ジャズを聴くのも、この店でだけだ」


 1曲目の「ザット・スラヴィック・スマイル」が終わって、メイン曲の「エコーズ」が始まった時だった。突然、ドアがけたたましい音をたてて開き、チンピラ風の若い男が飛び込んできた。
「く・組長、たいへんです。哲夫が、て・哲夫が、刺されたぁ……」
 転がるように、飛び込んできた男は、彼の座る椅子の後ろに倒れ込んだ。
「八丁目の角で、鈴木組の連中と出くわして、そ・それで喧嘩になって、さ・刺されて……」
 息を弾ませながら言う男の言葉を聞くと、彼は何も言わず立上がり、一万円札をカウンターに置いた。
「マスター、騒がしてすまなかった、またくる」
 飛び出すように出てゆく彼の顔は、いつもの柔和なそれとはまるで変わって、凶悪なやくざの顔だった。
(やくざの、組長だったのかぁ)
 少しばかり、派手な仕事、そうは思っていたが、まさかやくざだとは思ってもいなかった。

 この古くから続く飲み屋街にも、ごたぶんに漏れず、用心棒代にと「花」を押し売りするやくざの組がいくつかあって、勢力を競いあっていた。
 さいわい、こんな小さな「ロア」だったから、これまでそんな「花」を売り込まれずに済んでいた。
かくべつ彼らと事を構えるつもりは無いけれど、
(できることなら、無関係でいたい)
 私の本音だった。

 その傷害事件も、そんな組どうしのトラブルだったと、常連客の一人から聞いたのはその二・三日後だった。
 もちろんその常連客も、たまに来ていた彼が、組長だなんて知らなかったのだろう。
「刺された若い男の組はね、この町に古くからある組でね。それが古いスタイルのやくざなんだなぁ。素人にはけして手を出さないって評判でね、変な言い方だけど、けっこう人気がある組みたいだよ」
 よそから入ってきた暴力団の勢力と、激しい競い合いをしているとの話しだった。
「組長は若いらしくてね、水商売の女の子には持てるらしいよ」

 事件があって十日ほどもたった日の七時ごろだった。まだ早い時間で、客は一人もいない店に彼は入ってきた。
 いつもの通りの、静かな顔だった。
「マスター、このあいだは騒がしてすまなかったなぁ」
 彼はおとなしくていい客だと思っていたが、やくざと知ってはあまり良い気持ちではない。
 そんな私の気持ちを感じ取ったのだろうか、彼は言った。
「ここでは、ただの男として扱って欲しいんだ。おれも、一人の男として飲みたいときに、ここに来ていた。これからも、そうするつもりだよ。それでも嫌なら、言ってくれ。それなら、それでいいんだ。しょせん、やくざなんて人に好かれる家業じゃあ無いからなぁ」  乾いた声で、少し寂しそうに笑った。
「今日も、『ロイヤル・サルート』ですか」
(それならば、お引取り下さい)
 と、喉まで出かかっていたのだが言えなかった。
 彼が恐かったわけではない、その寂しそうな顔が、それを言わせなかったのだ。
 間も無く数人の客が入ってきて、彼との話しもそれだけでとぎれてしまった。


 天候ががらっと変わって、昨日からは寒いような日が続いている。
 今日は客も多く、彼とはしばらく話しができなかった。
 十一時を過ぎた頃だった、電車で帰宅する客はみな帰ってしまい、また、彼と二人だけになった。
「おれは、朝鮮戦争のために日本に駐留していたアメリカ兵と、基地の町で娼婦をしていたおふくろとの間に出来た子だったんだよ。混血児さ。今風に言うとハーフってぇやつだなぁ。でもね、今はハーフだなんてもてはやしているが、おれの子供の頃はそんなんじゃあ無かった。日本人でも無い、アメリカ人でも無い、人間ですら無かった、ゴミと同じ扱いだった」
 数杯目の水割りのグラスを彼の前に置いた時、彼は話し始めた。
「小さな頃は、気の弱いおとなしい子だったっておふくろは言うが、そんなんじゃあ基地の町では生きてはゆけないさ。おれは見たとおり身体も大きいし、いつの間にか殴られるより先に殴る、盗まれる前に盗む、そんな悪餓鬼になっていたよ」
 MJQの『エコーズ』をプレーヤにセットした。
「そうですか、私の田舎にも米軍が駐留していましたから、お客さんの気持ちわかる気がしますよ」
 私の実家の近くにも基地があり、朝鮮戦争へ参戦する兵士たちの休息所と、病院施設があった。彼のような子供を、何人も見ている。
「東京に出てきて、この街に巣喰ようになって、いつの間にか組長なんて言われるようになった。そりゃあ、先代から組を譲られた時には嬉しかったさ。おれには恐いものなんて何にも無い、そんな風に思っていたなぁ」
 今日は彼の話しをじっくり聴いてやろう、そんな気持ちになっていた私は、飾り棚から自分用のグラスを取り出し、氷を入れ、『ワイルド・ターキー』を注いだ。
「久しぶりに帰った基地の町で、女と知り合った。そして子供が出来た。彼女は貧しいが普通の家庭に育った女だよ。おれがやくざとは今でも知らないはずだ。おれは東京に会社を持っていて、月に数回帰ってくる、そう信じているさ」
「家族のために単身赴任をしているお父さん、そう思っているのですね」
 かれはうなずいた。
「子供が大きくなるにつれて、おれは考えるようになった。この子はどんな大人になるのだろうかってね。おれは悪くなる他には生きる道が無かった。でも、この子は違う。今のおれは貧しくも無い。息子にはどんな教育でも受けさせてやれる。そう思って一生懸命育てたよ。どんな上流家庭のお坊ちゃまにも負けないようにね。息子もおれの期待にこたえて、頭の良い品のいい子供に育っている」
 いくらか自嘲ぎみの薄笑いが、彼の口元に浮かんだ。
「楽しみですね、男のお子さんですね」
「十一才になるよ。おれがこの店に来るのは、家に帰る前なんだ。この店で、良い酒を飲みながらジャズを聴いて、やくざの垢を洗いながし、それからタクシーで帰る。もう、半年以上も続いているよ」


 常連がほとんどの「ロア」だった。フリの客はめずらしい。彼が始めてこの店にきたときのことも、鮮明に覚えている。
「そうですね、たしか、今年の始めの、雪の激しく降る日が最初でしたね」
「ほぉ、嬉しいねぇ。覚えていてくれたんだね。それまでも、帰る時には組の車じゃあ目立つから、タクシーを使うようにしていたんだが、あの日は雪でタクシーがなかなかつかまらなかった。若い衆を道に立たせて、寒さしのぎに飛び込んだのがこの店だった」
 その時、店に入った彼が一瞬ビックリしたような様子で店の中を見回していたのも覚えている。
 彼にしてみてば、この店も、普通に女性もいるスナックかなにかだと思って入ってきたのだろう。場所がらかそんな客も多いので、その時は特に気にもしなかったのだが。
「始めてきて、すっかりこの店が気に入ったんだ。タクシーを待つ間に、気分がすっかり変わっていたよ。それまでの、つっぱっていた気分がすっかり落ち着いた。タクシーの中でのおれは、心から家への帰りを急ぐ普通の男の気持ちになっていた」
「そんなことが有ったんですか、あの寒い日に……」
「それからおれは、帰る日には必ずここに寄って、普通の男になることにしたんだ」

 彼は、やくざの自分が嫌になっているのではないのだろうか、私はそう感じた。
「おやじが、おふくろが、そして時代がおれをやくざにした。それは事実だが、おれは誰も怨んではいないよ。けっきょくおれ自身が、今のおれなんだ。おれが、おれを、やくざにしている。素直に育ってゆく息子を見ていると、そんな気持ちになってきたよ」
 いつの間にか私は、彼を、やくざの組長から普通の常連客の一人、そんな風に感じるようになっていた。

 それからしばらくジャズの話しをしながら時間を過ごした彼は、一時を過ぎる頃になって席を立った。
「おれも、いつか……。かたぎになる……。そんな日が来るかも知れないなぁ」
 右手でドアを開け、こちらを振り返りながら左手をちょっと上げて出てゆく彼の 後ろ姿は、やくざでもなんでもない普通に男のそれだった。

                            完



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