
| 第五話 悪い女 発表日 2003/09/29 |
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店に入ってきたとき、彼女はすでにかなり酔っていた。 バブル華やかな頃、全国の繁華街に、ビルの中のすべてのテナントがバーやクラブで構成された飲食店ビルが盛んに建築された。店の名前を、イラスト入りで印刷した色とりどりの看板が、そんなビルの壁面を飾っていて賑やかだった。今でも、その名残が各所に見られる。 この店の2軒隣にも、その頃に建築された細長いビルが建っている。ほんの40坪ほどの狭い土地に、8階建ての鉛筆のように細長いビルだ。 各階は、1フロアが1ブロックになっており、場所がらか、お手軽なスナックや居酒屋ではなく、比較的に高級なバーやクラブが入っている。 その3階に、まあまあ高級な部類に入るクラブ「あや」がある。カラオケの装置など置かず、ホステスの美貌と若さ、高級な雰囲気を売り物にする本格的なクラブだ。 店の経営者でもあるママは、銀座でも1流と評判の高い某クラブで、長い間ナンバーワンだったホステスが、噂では良いパトロンを見つけて開店したとのことだが、数人が入ればそれで満席、従業員も雇わず、一人で経営する小さなバーのオーナーである私には、およそ無縁な世界なので、店に入ったことはない。「あや」が、どんな店なのかは噂でしか知らない。 それでも、深夜2時に店が終わったあとで、まだ飲み足りない客や、ホステスに下心のある、いかにも裕福そうな初老の男などが、ホステスと連れ立ち、朝まで営業しているこのロアにも入ってくることがあるので、ホステスの何人かとは、顔見知りだった。 彼女も、そんな売れ子のホステスの一人だった。 始めて見たときには、美しい人だと思った。いや、驚いたと言った方が良いほど、整った上に派手な顔立ちの美人だった。エリザベステーラーを、日本人にしたら、こんな顔になるのではないか、そう思ったほどだった。 次に彼女を見たときには、その美貌を、半ば台無しにするほど、太っていることに気が付いた。背丈も小さい方だ。 ホステス達が、客と一緒の時には、私から彼女達に話しかけたりはしない。しかし、彼女は、店が終わったあと、一人で、あるいは同僚と連れ立ち、立ち寄ることがしばしばあった。 そんなときには、同じ業界で働くもの同士の気楽さもあり、親しく話をすることにしていた。 「もったいないなぁ。少しダイエットすれば、最高の美人になるのにねぇ」 「マスターの方こそ、もう少し髪の毛が多ければ文句なしなのにねぇ。残念だわぁ」 「髪の毛があったって、すかんぴんじゃあどうしようも無いよ」 「それも言えるわね」 軽口を言い合うほど、仲良くなっていた。 彼女が、最初にこの店に入ってきた時には、初老の男と一緒だった。派手な彼女とは不釣合いに思えるほど、小柄で貧相な男性だった。その後、この二人連れは、週に1、2回は来るようになっていた。 男は、店が終わるまで客としてクラブで過ごし、店がハネたあと、二人してこの店で少し飲み直してから、ホテルにでも行っているのだろう。一人でも多く、自分の固定客を確保しようと、鼻の下の長い客を色気で引き付ける。それがホステスの仕事と言ってしまえば言えないこともない。一概に悪いこととは、それをする女性を、悪い女とは言えないと、私は思っている。 ところが、最近になり、彼女は若い男性と連れ立って来ることが増えた。 「おや、彼氏ができたのかな」 初老の男とは、客とホステスという関係だけではなく、経済的な援助もしてもらっているだろうと、薄々感ずいていた。彼女には、そんな援助者が必要らしかったからだ。しかし、その若い男が、初老の男に代わって援助をする、そんな資力があるとは思えない。したがって、店の客ではないのだろうと思った。 恋人が、あるいは夫がいて、深夜の帰宅は危険が多いことから、閉店時間を見計らい、迎えに来る。これも、良くある話だ。 店が終わるのを外で待ち、帰宅のついでにこの店に立ち寄っているのだろうと思っていた。 しかし、そうでないらしいことは、彼女の同僚達の噂話ですぐに解った。彼は、客として「あや」に通っているとのことだったのだ。 彼の上司が「あや」の常連だったのだ。たまたま連れられてきた彼が、一目で彼女に惚れた。そして、酒も飲めないのに、一人でも通うようになったという。 男は、30歳を少し過ぎたくらい。身なりは普通、身体も中肉中背でごく普通、ただ、ふっと見せる、神経質そうな、ちょっとおどおどとした態度が気になるくらいの、どこにでもいるような普通のサラリーマンだった。 熱心に通ううち、彼女も、どうやら彼を好きになり、今では同棲同様に暮らしているらしい。しかも、そうなった今でも、彼は客として「あや」に通っているようだ。 「マスター、テキーラをちょうだい。レモンもね」 レモンを薄く輪切りにして、それを半分に切った半月状のものを、舌の先に乗せ、口に含んでから、ショットグラスにそそいだテキーラを、一気に飲むのが、彼女の飲み方だった。酒はかなり強い。 「今日は、一人なの」 この店でテキーラを注文する客はあまりいない。 ごくまれに、口直しに、そんな感覚で注文する常連は数人いる。そんな客のためにと、特上の、バカラ社製のショットグラスを用意してあるのだが、彼女のように、すでに酔って入ってくる客には、とてもそんな高価なグラスは使えない。それでも、女性用にと用意してあった、小ぶりの、薄いピンク色の切子グラスにテキーラを注いで彼女の前に置いた。 「まあ、きれい。素敵ね、マスター」 すでに、いくぶんか、ろれつが廻らなくなっている。 彼女は、私の問いかけにはまったく答えず、両手でグラスを持ち、明かりに向けて見つめている。 彼女はいつもの通り、カウンターの向こう側に座り、こちらを向いているので、彼女の欠点である肥満した身体は私からは見えにくい。カウンターの真上のダウンライトに照らされ、上半身だけにスポットライトが当たったような、そんな彼女はすばらしく美しく見えた。 すると、同じビルの、最上階のクラブで働く小柄でかわいらしい女性が、品の良い中年の男性と一緒に入ってきた。 「あら、さゆりさん。きてたの」 「これはこれは、美樹さん。佐伯先生とご一緒なんて、隅におけないわねぇ」 「なあにぃ、その隅におけないっていうのは」 笑いながら、美樹と呼ばれた女性は、彼女の隣に座り、男性もその隣に座った。 「だってぇ、佐伯先生ってぇ。優しくて、紳士で、ちっともスケベじゃあないし、お金の払いだって綺麗だから、このあたりのクラブの女の子は、み〜んな狙ってるのよぉ。知ってたぁ」 「もう、酔っ払っちゃってんだから」 二人の女性は、働いている店は違うが、仲がよいらしく、二人だけでこの店にも来ることがしばしばあった。どうやら、出身地が同じらしい。 美樹は、連れの男性をそっちのけで、たわいのない話を始めた。無視されたかっこうの男性だったが、機嫌を壊すでもなく、微笑みながら、だまって二人の話を聞いている。こんな男性が、ホステスには人気がある。 「なににいたしますか」 飲み物の注文を聞いた。 「スコッチをオンザロックでください」 最近は、シーバースが水割りには良く合うことから、好んで飲まれているようだが、私は、オンザロックを注文する客には、しっかりした、スコッチらしい味わいを持ったジョニーウオーカーのブラックを出すことにしている。そして、冷たい水を入れたタンブラーを添えた。 男性は、軽く微笑んで受け取り、グラスにちょっと口を付けてから、美味しそうに水を飲んだ。もう、酒は充分に飲んできているのだろう。 女性二人の話はまだ続いているが、気にする風も無く、男性は私に向かって話しかけてきた。 「マスター、このお店は古いのですか」 「ええ、もう40年は経っていると思います。でも、私が前のマスターから引き継いでからはまだ、3年ですけどね」 「ああ、そうですか。いいですねぇ。私も、こんなお店を持ちたいと、いつも思っているんですよ」 「そうおっしゃられるお客さまは多いですよ。でも、見るのとするのとでは……。まあ、私一人が食べるくらいならなんとでもなりますけどね、家族を養うとなると、なかなかねぇ」 実際、独り者の私だから、なんとか営業が続けられているのだ。 そうだろう、そんな雰囲気で、黙ってうなずいた男性はそれっきり、なにも言わなかった。 「ねえ、真田さんと、その後どうなってるの」 美樹がさゆりにたずねた。すると、それまで、明るく受け答えしていたさゆりは、とつぜん表情を変えた。 「なによ、それ嫌味」 美樹はおそらく、気軽に友達の恋人の消息を聞いた、そんな風だったから、彼女の豹変ぶりには驚いたのだろう。連れの男性と顔を見合わせた。 「美樹、そろそろ帰ろう」 潮時と、男性は感じたのだろう、美樹のひじを、そっと触って言った。 「ええ、そうね、さゆりも酔っているし。この人、酔っ払うと始末に悪いんだから」 男性が、気を悪くしたのではないかと思い、気を使っているのだろう、それでも、「本当は素直な子なのよ」、そんなようなことを言いながら、美樹と男性は店を出て行った。 「なんだい、自分が幸せだからって、だれでも幸せと思ってやがる」 ろれつの廻らない口で、彼女は独り言のようにつぶやいた。 それからしばらくは、カウンターにうつぶして、眠っているのかと思えるほど、静かにしていた彼女だが、ゆっくりと顔を上げた。 「マスター、もう一杯ちょうだい」 普通ならば、こんな状態の女性には、もう帰った方が良いと、やさしく言うのが私の常だったが、彼女のアパートはこの店のすぐ近く。最悪は送っていってやろうと思っていたので、だまってテキーラをもう一杯、グラスに満たした。 「今日ねぇ。真田と喧嘩しちゃったぁ」 連れ立ってくる若い男性の名前が真田らしい。 「彼ねぇ。うじうじしてて、好きなタイプじゃあないんだけど。私ももう若くはないでしょう。離婚経験もあるしね。結婚しようって言われて、それでもいいかなって思ったわけよ。でも、結婚したことあるなんて言ってないし、子供の養育費送っているなんて言えないじゃない。なんとなく返事しないで引き延ばしていたんだよねぇ」 若そうに華やいで装ってはいても、夜の仕事をする女性には、それなりの年齢も重ね過去を持つ女性が多い。子供がいると聞かされても驚きはしない。 「毎日のように彼が店にくるのよ。彼って、そんなにお給料は高くないって知っているから、無理には商売しないようにしていたら、私の見入りも減っちゃってね」 基本給はごく少し、客がオーダーしたボトルやつまみ類からのバックマージンが、彼女たちの実質的な収入になっている。 恋人でも、彼が裕福だったり、友達が多く、仲間を引き連れて飲みに来るのならば、客として大歓迎だが、一人で来て、彼女を独占していたのでは、彼女も他のテーブルに付くこともままならず、収入にはならない。 「彼ってねぇ。他のテーブルから私に指名が入ると怒るのよねぇ。始めは、それでも、まあ、それだけ私が好きなんだから、しかたがないかって思ってたけど、ママも気がついて、彼が来て私が付いていると、他のテーブルからの指名を断っちゃうのよね」 それでは、彼女の収入が激減してもおかしくはない。店には来るなと、はっきり言わなければならないところだ。なぜか、それが言えないさゆりなのだろう。 「マスター、私の前の彼、知ってるよね」 「ああ、ちょっと年配の小柄な人だろう」 「そう、伊藤さん。見栄えはちっとも良くないから、なんであんなおじさんとなんて、ずいぶんみんなから言われたけど、彼ねぇ。とっても優しいのよ。地方銀行の東京支店長さんでね、単身赴任なのよ。私も寂しかったのね。優しくされているうちに、いつの間にかできちゃってたんだけど、私に若い彼ができて、結婚するかも知れないっていったら、だまって別れてくれたわ」 彼女にしてみれば、単なる金づるだったかも知れないが、伊藤という男にしてみれば不倫ということになる。別れる別れないでトラブルを起こしてもなにも得はない。だまって別れるのが男の分別だと、私も思う。 「伊藤さんには、子供の仕送りも助けてもらってたのよ。でもね、別れたんだからもう頼めないってこと、解ってはいたんだけど、お金が足りなくて、困って、しかたなくって会いに行ったら、彼ねぇ、だまってお金だしてくれて……。嬉しかったし、彼もお酒大好きだから、一晩じゅう一緒に飲み明かしたわ。それでね、私解ったのよ。本当は、真田なんかじゃなくって、伊藤さんの方が好きなんだってね」 「でもねぇ、さゆりさん。伊藤さんには奥さんがいるんだろう」 「解ってるわよ。伊藤さんは家族持ちだもんね、結婚なんてできないわよねぇ。だから、真田ともそのまま続いてるわ」 「ところで、なにが理由で喧嘩したんだい」 「始めのうちはね、真田には気づかれていなかったのよね。それが、4回目か5回目くらいからかなぁ、感づいたようなのよね」 「4、5回目。伊藤さんともまだ続いているってこと」 「うん。たまにだけどね。真田って、お酒飲めないでしょう。お店で嫌なことがあったりして、お酒飲んでふっ飛ばしたいことってあるじゃない。そんなときでも、真田はねえ、暗い目して、私を見つめてるだけ。付き合ってくれないのよ。むしゃくしゃしたときなんかには、友達のとこに泊まってくるって言って、伊藤さんのマンションに行ってたの」 男を手玉に取るのが、クラブのホステスの仕事とは言っても、同棲どうぜんに暮らしていて、それでもまだ、前の男と続いているとは、私も少なからず驚いた。まあ、気持ちが解らないこともなかったが。 「問い詰められて喧嘩になったのかい」 「ううん、そうじゃないのよ。もっと悪い。最悪。昨日も、友達のところに泊まってくるって言って伊藤さんのマンションに泊まったのよ。朝ねぇ、伊藤さんが出勤するとき、私、奥さんみたいに、表の道まで見送りに出たら、そこに、真田が立ってたの」 「それで大喧嘩になった」 「それも違うわ。真田ったら。泣いて私に頼むのよ。あの男とは別れてくれって」 「よっぽどさゆりさんに惚れてるってことか」 「彼ねぇ。わりかし、自分のこと解ってるのよ。私、一緒に暮らしてみた解ったわ。彼のあの性格、普通の女の子だったら気持ちが悪いと思うわ。どこがって聞かれても困るけどね。彼も言ってるの、どんな女性と付き合っても、すぐに振られてしまうって」 真田は、なんと言うか、いわゆる「おたく」。そんな不気味な雰囲気を持っている男だったから、若い女性からは好かれない典型的なタイプなのだろう。 「私はねぇ、結婚するとしたら、もう、後が無いって解ってるから、我慢して、好きな振りをしてる、演技してるって言ってもいいかな。上手に芝居してるから、彼は惚れられている、そう思ってるはずよ。彼にしてみれば、生まれて初めて女性から惚れられた。そう思っているみたい。勘違いなんだけどね」 女性にはもてた経験が無い。そんな男が、太ってはいても、絶世の美女から惚れられた。それはもう、天にも登る気持ちになっていることは想像できる。 「それで、どうするの。伊藤さんとは別れるって言えば、真田さんとは縒りが戻るけど、それではお金が問題なんだろ」 「そう言うことね。いいわ、私、言ってみる。もう店にはこなくていいから、その分、私にお金をちょうだいってね。子供がいることも言っちゃう。それでも結婚するって言うなら、結婚するわ。幻滅したと言われたら、別れちゃえばいい。まだ結婚したわけじゃないもんね」 「初めから話せば良かったってことかい」 「ちょっと違うかな。初めから話していたら、驚くかも知れないけど、解ってくれたと思うわ。それで私は、解ってくれたって感激して、真田が好きなんじゃあないかなんて思って。それで、後で嫌いになるかも知れない。そうなれば離婚よね、前の時みたいにね。でも、今ははっきり解ってるわ。私は真田は好きじゃない。むしろ嫌い。でも、それを納得して結婚するんだもの、今度は別れないわ」 「その考えはどうかなぁ。嫌いで結婚したって、心から幸せにはなれないよ」 「だいじょうぶ。結婚したら、真田には絶対にばれないよに、じょうずに伊藤さんと会うから平気よ」 こんなさゆりを、「悪い女」の見本と言うのだろうか。それとも、愚かさゆえ、貧しさゆえの「悲しい女」と言うのだろうか。 完 |