うっとおしい週末が続いていました。久々に晴れた土曜日の9月27日、これまで行ってみたいと思ってはいても、一度も足を向けたことのなかった川越に行こうと思い立ちました。 これまでも、河童をテーマの探訪は、妻と二人、車で出かけることが多かったので、今回も声をかけてみたのですが、なにしろ、言い出したのが11時近く、これからでは遅いということになり、日曜日が晴れたら出かけようと決めたのです。 いつもながらの衝動的行動です(^ム^;) 翌朝、天気予報は晴れでしたが、山が近い自宅の周辺は曇っていました。しかし、晴れてくるだろう、かえって、暑くない方が良いと、予定通り、妻と息子を伴い、9時に自宅を出発したのです。 自宅から川越までは、熊谷を通り東松山を抜ければすぐ近く。高速道路を使わなくても、3時間もあれば着くと推測していました。結果は、市内を通らず、バイパス道路を使ったこともあり、2時間を少し切る所要時間で到着することができたのです。
駐車場を探しながら、ぐるっと市内を1周し、もし、これで見つからなければ諦めて帰ろうと、もう1周回っていて駐車場を見つけました。川越城本丸御殿の隣、市民野球場の駐車場でした。メインの通りからは少し距離はありますが、名刹「喜多院」へは800メートルです。 しかも、駐車料金は無料ということでしたから、これは幸運に恵まれたと言うべきですね。 車を駐車し、まずはすぐ隣の本丸御殿を見学しました。 続いて、「喜多院」をめざし歩きました。周囲はまったくの住宅街ですし、道標が整備されていなかったので、スムースに行けたとは言い難いですが、それでも、方向はだいたい解っていましたし、大きな森を目印に、10分ほどで行くことができました。 喜多院の歴史はあまりにも古く、はっきりとはしていないようです。一説によると、平安時代に淳和天皇の勅命により、慈覚大師円仁によって創建されたとされています。 後年、いったんは炎上し、永仁4年(1296)に再興され関東天台宗の中心として栄えたそうです。 江戸時代に入り、寛永15年(1638)の川越大火で焼け落ち、徳川家光の命により、堀田加賀守正盛により復興されました。この時に、江戸城紅葉山にあった別殿を移築したことから、 家光誕生の間、春日局化粧の間が残っています。
続いて、妻のたっての希望から、「駄菓子屋」が建ち並ぶ横丁(とは言っても、普通の住宅街の路地に、取って付けたような小店を並べただけの、いかにも観光地という感じですが)を見学してから、帰路につきました。 始めて行った川越です。実は、あまり良い印象は受けませんでした。もちろん、特別悪い印象を受けたということではないのですが、なにしろ、人が多すぎた。いつものような探訪ならば、写真を多数撮影する私も、撮っても観光客ばかりが写ってしまい、私の大嫌いな写真になると、 今回はほとんど撮影をしませんでした。
私が受けた感覚は、ちょうど、かつての「清里」のよう。まあ、若者向のそれではないにしても、どこか、流行に流されている軽薄さを感じてしまったのです。 素材としてはすばらしい物を持っている。地域住民の文化のレベルも高い。それなのに、それが上手に表現できていなくて残念だ。これが、今回の「川越探訪」の総括です。 写真撮影日:2003年9月28日
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最後に、少し感じたことがありました。場所は川越、江戸の文化ということもあるのかも知れませんが、老人の団体客が目立ったことです。 秋の行楽シーズンの日曜日です。観光客が多いのは、ある程度しかたがありません。でも、できたら平準化したい。日曜日しか観光ができない会社員や家族連れとは違い、 平日でも自由に行動できるはずの、リタイヤした年配者のツアーは、混雑する日曜日は遠慮して欲しいものです。 身勝手な言い方かも知れませんが、そう思いました。 |