気ままにそぞろ歩き
元祖江戸っ子「神田明神」(東京都千代田区)


掲載日:2004年11月21日
最終更新日:2009年2月4日

 江戸っ子とは、江戸で生まれた庶民を呼ぶ呼称ではありません。

 江戸城に入り、将軍の拝謁を受けることができる二つの祭り、「神田明神」と「山王権現」の氏子だけが江戸っ子と呼ばれたのです。

神田明神の由来

 社伝によると天平2年(730)創建とあり、すでに1,270年以上の長い歴史を有する神社として知られています。
 創建時は皇居の辺り、現在の千代田区大手町(武蔵国豊島郡江戸芝崎)にありました。
 やがて天慶の乱(939〜940)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると天変地異の怪異が続き、 付近の住民は窮していました。それを知った時宗の真教上人が将門公の祟りを鎮め、 延慶2年(1309)には将門公を祭神として合祀しました。
 時移り徳川家康が江戸に幕府を開くと、将門公を深く尊崇して当社に神領を寄進しました。 幕府発展による江戸の大規模な造成のため、元和2年(1616)には江戸城の表鬼門にあたる現在地(千代田区外神田)に移転し、 江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれました。
 そして神田祭は天下一の祭礼としての意味をこめ、天下祭(御用祭)とも呼びならわされ江戸市中を挙げての祭礼として 盛大に執り行われました。
 当時は、華麗な山車が延々と36台以上も続いて江戸城に入り、将軍をはじめ大奥の女性に至るまでが上覧し、 贅を尽くした祭礼は二年に一度の風物詩として、数多くの錦絵や祭礼番附に美しく描かれ、それが飛ぶ様に売れたといわれています。
 明治を迎えると東京府社・準勅祭社に定められ、明治7年には明治天皇の御親拝があり東京を代表する神社として 厚く敬われてまいりました。
 しかし大正15年の関東大震災により社殿はじめ社宝等を失いましたが、氏子崇敬者の尽力によって昭和9年当時としては画期的な 鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗り権現造の現在見ることのできる社殿が造営されました。
 また平成7年より始まった御造替事業により社殿他建物全てが美しく塗り替えられ、江戸総鎮守としての面目を一新しました。

神田明神ホームページより転載


 良く晴れた日曜日、神田明神に入ってみました。
 本郷通りを神田方面から北に上がってゆくと、左に湯島聖堂の森が見えてきます。そしてその反対側に「神田明神」があります。
 左右にお店が並ぶ短い参道を行くと、ひときわ朱色が目立つ大きくりっぱな門(随神門)が見えてきます。

 さすがは江戸っ子の総本山、堂々たる威容です。




 随神門正面左側の武士像です。


 随神門正面右側の武士像です。


 随神門裏面左側の神馬です。


 随神門裏面右側の神馬です。
 門をくぐると、広い境内の先に、大きな神殿の建物が見えてきます。


 門を入ってすぐの手洗い(手水舎)です。手入れも良く、清潔な手洗いです。


 見事な竜の口から水が流れています。

 手洗い場の先には、高さが6.6メートル、大きさとしては日本一の大黒天の像が祭られています。


 神楽殿です。戸には、毎年5月に開催される『神田明神薪能(たきぎのう)』のための絵が描かれ、前売りチケットも売っています。


 えびす様尊像です。大海にゆられる子供の姿のえびす様です。



 ちょうど七五三の季節です。境内には晴れ着の子供を連れた家族が多数きていました。二人並んだ女の子は、双子でした。


 このおしゃまさんにカメラを向けると、「かわいいでしょう」と言われました。「うんかわいいよ」、私は答えました(^0_0^)
 本殿のすぐ右には、「獅子山」と名づけられた人口の山があり、頂上には古い獅子の像が安置されています。

 千代田区指定有形民俗文化財に指定されているこの石の獅子像は江戸時代の作、幕末の文久二年(1862)に両替商仲間により奉納されたものなのだそうです。

 夫婦二体と子供の獅子が岩場に遊ぶ石の像です。江戸時代の物ですが、関東大震災で崩れた時に子獅子は失われたそうです。今は、下中央に子獅子が据えられていますから、最近造られたのでしょう。
 本殿の右側を進むと、そこに二つの墓が建てられています。

 大きな墓は「銭形平次」、右側の小さな墓が「からっ八」の墓なのだそうです。

 もちろん、銭形平次は実在の人物ではありません。野村胡堂が生み出した小説の主人公です。ここに墓があるのは、 平次の住まいが「神田明神下台所町」だったからとか。昭和45年に作家と出版社とが発起人となり建立されたのです。
 境内の裏を廻り、右側にでると、そこに「力石」がありました。

 力石とは、神社仏閣などに置かれ、力自慢が持ち上げる神事に使われる石です。

 この石がいつの時代からここにあったのかは不明なようですが、文政5年(1921)に持ち上げた人の名前が石には刻まれているので、少なくとも それ以前から置かれていたのでしょうね。
 境内の右側には、結婚式場である「明神会館」があります。

 この日はちょうど二組の結婚式がありました。


 会館から、結婚式が行われる神殿まで、新郎と新婦は、笙や笛、鐘などを演奏する神官と巫女に先導されて道中をします。


 良く晴れた日でした。ここ数日、あまり良いお天気ではなかったことを考えると、このカップルはよほど心がけの良い二人なのでしょう。
 随神門を裏側から撮影した写真です。
 境内には、多数の小さな神社が勧進されています。社殿や狛犬、古い石の手洗いなどの写真は多数撮影してきたのですが、数が多いので今回は割愛しました。

 なにしろ、土地が貴重な東京です。いかに歴史と格式のある神田明神とはいっても、地方の神社仏閣ほど広大な敷地はありません。地方の名刹を知っている人から 見ると、意外なほど狭いと感じるかもしれません。

 しかし、江戸時代の香りを残した神田明神は、時代小説大好きな私には、好きな神社の一つです。

 JR御茶ノ水駅からは数分の距離です。ちょっとした空き時間にでも、お寄りになることをお勧めいたします。

撮影:2004.11.21/2009.02.03



hpmanager@albsasa.com Albert 佐々木