東武浅草駅正面です。
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駅前から隅田川に向かって目を転じると、通称『うんち(^ム^;)』の掲げてあるビル(アサヒビール)が見えます。
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吾妻橋交差点から西(合羽橋方面)を見た写真です。
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外国からの観光客にもっとも人気があると言われている雷門です。
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雷門の左側に据えられている『雷神』像です。
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同じく右側の『風神』です。
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雷門の左斜向かいのビルに取り付けられているからくり時計です。ちょうど12時だったので、祭り囃子が動き出しました。
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雷門をくぐり、仲見世に入りました。外人観光客がほとんどです。
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仲見世から左に折れる『伝法院通り』です。この通りには、古着屋や主に和服の舞台衣装屋が並びます。この先の左側に『浅草公会堂』があります。
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伝法院との交差点から『宝蔵門』方向です。
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交差点の北左側には、『伝法院』の門があります。
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『宝蔵門』です。
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同じ方向を10ミリの超広角レンズで撮影しました。
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『宝蔵門』の釣り提灯です。中央には『小舟町』から奉納された赤提灯、左右には『魚河岸』から奉納された黒提灯が吊されています。黒提灯は、赤提灯よりも、
はるかに上質と私は感じました。その造りには江戸っ子の粋が感じられます。ちなみに、赤提灯は京都で造られたと聴いています。
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『宝蔵門』前から『五重塔』を望みます。
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10ミリレンズで『宝蔵門』を撮影しました。ほんの数メートル手前からの撮影ですが、全景を写すことができました。
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門をくぐると、本堂が見えてきます。
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お守りやお札の種類が豊富です。
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御洗場です。10ミリでの撮影です。見事な立像と龍とで構成されています。
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同じ映像ですが、コンパクトカメラでの写真です。
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天井には、龍の絵が描かれています。
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『本堂』の階段前です。
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『本堂』の全景です。
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『本堂』前から『宝蔵門』を見た映像です。
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『宝蔵門』に掛けられた『大わらじ』です。最初に掛けられたのは昭和16年とのことです。日支事変の戦勝祈願として奉納され、その後も奉納者の地元、山形県からほぼ10年周期で奉納が続いているとのことです。
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『宝蔵門』と『五重塔』を10ミリで撮影しました。
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『浅草寺(せんそうじ)』本堂の西にある『浅草神社(あさくさじんじゃ)』の鳥居前です。
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『浅草神社』です。江戸時代までは、寺と神社は一体として運営されていましたが、明治になって、強制的に(政治的に)分離させられました。
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『本堂』の東側(右側)を行く地、『花やしき通り』に入ります。
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おそらく、日本でも最も狭い商業遊園地でしょうね。『花屋敷』の入り口です。
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『花屋敷』前を西に進むと、『ひさご通り』という、いかにも下町風の商店街があります。
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『ひさご通り』の中央部に、『台東区立江戸下町伝統工芸館』があります。残念ながら館内撮影は禁止なので、映像はありませんが、台東区の職人が造った
伝統工芸品が展示され、販売も行っています。
優れた職人の『技』が光る作品は、一見の価値があります。浅草に行かれたのなら、ぜひ、入ってみることをお勧めします。
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『浅草六区』と言えば、多くのボードビリヤンを排出した娯楽演芸の聖地です。映画館で上映しているのは、現代の映画ではなく、数十年も前の『なつかしの映画』でした。
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昔なつかしいスマートボール場(昭和40年代、大学生だった私は、新宿のスマートボール場の常連でした)がまだありました。
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『六芸神』の小さな神社がありました。 『六芸』とは、『唄神(うたいがみ)』『奏神(かなでがみ)』
『話神(はなしがみ)』『戯神(おどけがみ)』
『演神(えんじがみ)』『踊神(おどりがみ)』です。
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六体の神は、それぞれモデルがいます。
『唄神:東海林太郎』『奏神:田谷力三』
『話神:古今亭志ん生』『戯神:氏名不詳の大道芸人』
『演神:榎本健一』『踊神:水の江瀧子』です。
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最近は、若手の歌舞伎役者が公演することで有名になっている『浅草公会堂』です。
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『新仲通り』を進み、『仲見世』との交差点を過ぎた南北の道を北に進みます。
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朝は9時ごろから営業している居酒屋『ニュー浅草』です。お客はお年寄りが多く、何時行っても混んでいます。それもそのはず、安くて旨い。まあ、
お客が多く、繁盛しているからできる商法でしょう。
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『ニュー浅草』の前を通り、『伝宝院通り』を越える路地の左側に、『江戸染め手ぬぐい』の名店『ふじ屋』があります。
ハンケチでは小さすぎると感じている私は、若いころから、持ち歩くのはこの『ふじ屋』で買った手ぬぐいか、芸人や俳優からいただいた名入りの手ぬぐいです。
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