鎌倉五山の一つ、『円覚寺』に行ってきました。 鎌倉五山とは、格式の高い寺を五つ選び制定した制度です。 五山制度は、インドの五精舎にならい中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため格式高い五つの寺を定めたことに由来するそうです。 鎌倉の禅宗は、南宋から帰国した僧侶栄西らによって伝えられ、鎌倉時代末期に、鎌倉幕府は次々と大寺院を建立しました。 鎌倉五山とは、鎌倉時代に五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のことです。 この円覚寺は、鎌倉五山の第二位のお寺です。 円覚寺は、執権北条時宗が1282(弘安5)年、宋僧無学祖元を招いて開いた寺院です。 建物は創建当初から谷間のわずかな平地を利用し禅宗風の伽藍配置をもった堂塔が多くならんでいました。しかし、 たび重なる火災で、創建当初の建物はすべて失われています。しかし、室町初期の建築とみられる舎利殿は、禅宗様式を代表する建物とのことです。 このそぞろ歩き、実は、午後から開催される荏柄天神社の筆供養祭りに参加するため、早めに家を出て、2時間ほどをかけ、同じく鎌倉五山一位の建長寺と共に 撮影をしようと考えていました。 JR北鎌倉駅で降り、まずは円覚寺、次に歩いて建長寺、そこからまた歩き、鶴岡八幡社を通り、荏柄天神社へと、ハイキング気分でした。 ところが、この円覚寺の大きさです。とても次に行くどころではありませんでした。撮影が終わり、なんとか建長寺までは歩いたのですが、中に入るどころか、12時までに 荏柄天神社に入れそうも無い。しかたなく、タクシーを呼んで荏柄天神社まで行くはめになってしまいました。 ともかく壮大な規模の寺院です。予備知識もなく訪問したのは失敗でした。よって、ろくなコメントができません。次は、充分に事前調査をしてから訪問しようと考えています。 |
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1月にはまた、荏柄天神社への初詣を予定しています。その日も、今回と同じように10時には鎌倉に着き、建長寺を訪ねるつもりです。 今回に懲りて、他へは行く予定をせず。歩いて荏柄天神社へなども考えず、鎌倉駅からタクシーで一直線に建長寺に行き、同じくタクシーで荏柄天神社に 行く計画にするつもりです。 円覚寺の壮大さは、さすがは鎌倉幕府のお寺と思わせてくれました。おそらく、江戸幕府のお寺も、負けずに壮大だったのでしょう。ただ、東京と鎌倉の違い なのでしょうね。東京は、都市化と共に、どんどんと小さくなってしまったのでしょう。鎌倉だから、当時のままの規模で残っているということなのでしょうね。
写真撮影日:2008年10月12日・2011年3月1日
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