気ままにそぞろ歩き
2009年正月の浅草寺と西境内(東京都台東区)


掲載日:2009年1月29日
追記日:2009年4月25日


 1月の12日の成人の日、浅草寺とその西側にある西境内を見て歩きました。

 まだまだ、正月気分の抜けきっていない仲見世と境内、外国人観光客の姿が目立ちます。

 本堂の西(左)側、五重塔の北(上)側が、西境内と呼ばれる区域です。

 その中心となるのが、『影向堂』です。ここには、十二支の、それぞれの干支の人が、自分の守り神として参拝するための守り本尊がまつられています。

 また、その庭園には、多数のお堂や地蔵、仏像などが立ち並んでいます。

 仲見世の通りには、いかにも、お正月と言う飾りが、まだそのままに残っています。

 宝蔵門の北側の大わらじは、昨年の暮れに、山形より新しいものが奉納されていました。門の左右に一足分が掲げられています。
 この大わらじ、現在はこの場所ですが、以前は違っていたようです。日本民俗学の開祖である柳田国男氏の『山の人生』には、次のように記載されています。
「淺草仁王門の格子の木にむやみな大わらじの片足をぶら下げた行為……」
 かかっていた場所は、現在の宝蔵門ではなく、仁王門(雷門)だったようです。また、裏側ではなく『格子』とありますから、おそらく門の東西のどちらか側でしょう。 また、現在のように一足分の2個ではなく、片足分の1個だけだったとのことです。そして、民俗学的には、この『片足』にこそ意味があることが、同書には詳しく記載されています。
 何時から一足分の2個になってしまったのでしょうか。片足ではおかしいと、単純に思った人がいたのでしょうね。これを、文化の破壊と言うのか、それとも、2個に 変化したのも、民俗(習俗)の変化として受け入れるべきなのか……。

 本堂の前の広場です。手前に写っている参詣者は、ほとんど東南アジアからの観光客です。




 ここからが、西境内の写真です。


 影向堂の案内図です。

 宝蔵印塔です。

 阿弥陀如来像です。

 石橋と緋鯉の泳ぐ池です。

 左から、老学の句碑、西仏板碑、三尊名号の塔です。

 影向堂です。

 六地蔵石燈篭です。

 左から、金龍権現、九頭龍権現です。

 聖観世音菩薩像です。

 薬師堂です。

 淡路堂の入り口です。背景には、花やしきの鉄塔が見えます。

 淡路堂の本堂です。

 六角堂です。

 三峰神社です。

 左から、子育地蔵尊、高徳地蔵尊、出世地蔵尊です。

 恵比寿大黒天です。

 めぐみ地蔵です。

 銭塚弁才天です。

 一言不動尊です。


 西境内のとなりの公園には、瓜生岩子女史の像があります。女史は、日本のナイチンゲールとも称讃された慈善事業家です。
 古い歴史と、数十年前の、下町の風情に、現代の庶民生活が、濃縮されている雑多な街が、淺草です。

 なんど行っても、飽きることのない街ですね。


写真撮影日:2009年1月12日


hpmanager@albsasa.com Albert 佐々木