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福建省にある、仏教の古いお寺「涌泉寺」です。
弘法大師(空海)が滞在・修行をしたことも
あったようです




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 1995年2月17日に撮影した写真です。

 当時担当していた通信端末が、中国で販売できるかどうか、市場調査を行いました。北は北京から、上海、四川省、福建省、香港を廻って調査をしました。

 この写真は、福建省を訪問した時に撮影したものです。


 商談に数日を福州市で過ごし、福建省からは、次に商談のために国際便で香港に出る予定でした。定期便の関係から1日空いてしまい、福州市から車で数時間離れた (現在は舗装されたりっぱな道になっているとは思いますが、当時はまだ田舎道の悪路でした)、鼓山と呼ばれる山の中腹にあるこのお寺を見学しました。

 鼓山の中腹、自雲峰の麓にあるこのお寺は、涌泉寺(ゆせんじ)です。西暦908年、ビン王・王審知(862〜925)が創建したと伝えられ、名僧の神晏を招いたことで有名です。 宋代の帝王、真宗(在位991〜1022)より「涌泉禅院」と命名され、額を下賜されましたが、明の時代、永楽5年(1407)に現在名に改称したそうです。

 1542年に火災に遭い大部分を消失したが、1627年に再建され、天王殿、大雄宝殿、法堂、鐘楼、鼓楼、自雲堂、明月楼、蔵経殿などは清代と民国時代の再建といわれています。

 清代末期には、福州の五大禅寺のひとつとまでいわれた名寺です。寺内には、経典とその版木を蔵することで内外に知られており、明代の南京大報恩寺版大蔵経、 清代の北京勅版大蔵経、日本の大日本続蔵経なども所有しているようです。

 そんな中国のお寺としての歴史だけではなく、遣唐使として中国に使わされた空海が、難破し福州に漂着した後に、しばらく修行をしたと中国人の通訳から説明をされました。

 空海は、歴史上、福州に漂着した後に、一時期捕らわれ、その後は当時の首都である長安に行き修行をしたことになっていますが、中国側の説明は少し違っていました。実際、このお寺には、 空海を記念する石碑があります。また、展示場には、空海の残した遺物も展示されていました。

 庭には、日本の宗教関係者が、このお寺を訪問した記録も展示されていましたから、日本の宗教関係者の間では有名なお寺なのでしょう。

 また一方、弘法大師・空海は、日本を代表する宗教家ですから、その人物が、一時期と入っても滞在したことは、中国側としても、誇らしい気持ちがあるのでしょうね。

 現在でも、修行のための寺院であるらしく、僧侶たちの宿泊施設も併設されています。

 残念ながら、撮影禁止でしたので、写真はありませんが、このお寺には、お釈迦様(仏陀)の「歯」が宝物として残されています。いわゆる「仏舎利」ですね。

 大切に保管されてはいるのでしょうけれど、秘蔵されているのではなく、一般公開されていました。のぞき穴から見ることができるようになっているのです。私も見てきました。 すっかり黄ばんでいましたが、普通の人間の歯でした(^ム^;)

 残念ながら写真は撮ってきていませんが、このお寺の周囲には、鼓山摩崖題刻とよばれる岩壁に400余りの題刻が彫られてい場所があります。彫られている文字は宋が中心とのこと。 字体も、楷書、草書、隷書、篆書と揃っていて見事でした。著名人の字も多く、宋代の蔡襄、朱子学の創始者・朱熹、現代では郭沫若などが、岩に文字を書いた場所があります。 市内からも近く、市民のハイキングコースになっています。


 中国のテレビ会社「央視国際:CCTV」社が、この「鼓山地区」を広範に紹介するページを作っています。

 中国語ですが、ご覧ください。




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hpmanager2@albsasa.com Albert 佐々木