韓国首都ソウルの景福宮と昌徳宮

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ソウル(SEOUL)の市内北側にある王宮の遺跡です。
 これもまた出張で訪問した韓国です。フライトの空き時間が半日あったので、ソウル市内を観光しました。掲載している写真は、 そのときに入った王宮遺跡です。撮影したのは、1999年5月10日です。
 ほぼ同じ様式、規模の二つの遺跡が隣り合わせに建設されていました。西側が景福宮、東側が昌徳宮です。

 ちょうど、京都の御所のように、王の住居と政治を司るための建物と、王の家族がくつろぐための庭園や離宮が 立ち並び、壮大な規模です。

 庭園はよく整備されていました。実に美しい庭園です。半日の観光だったので、通り過ぎただけでしたが、本でも持って 落ち着いて1日を過ごすには最適な庭園です。また行って見たいところの一つです。

 庭園には池や東屋もあります。(Photo 12)この池の水面を眺めていたら、巨大な蛇が悠々と泳いでいるのを見かけました。
 韓国というと「オンドル」、最近は日本でも流行りの「床下暖房」ですが、話には聞いていても、それがどんな仕組みで、 特にこんな大きな建物では実現されているか、想像もできなかったのですが、それが実物を見て理解できたのは収穫でした。 Photo 6の中央左側に煙突が見えます。

 また、全体の規模は大きいものの、一つ一つの部屋、執務室や住宅スペースも、意外なくらいに狭い(Photo 7)と、私は感じました。まあ、 日本人とほとんど同じ体格の韓国人ですから、欧米の王宮などでのそれらの大きさとはやはり違う。そこに暮らす人の「身の丈」に 合った造りになっているものだと、改めて思いました。

建物の屋根には、従者と従う動物が取り付けられています(Photo 9-10)

 二つの遺跡ともに、過去に数度に渡る日本からの攻撃で破壊された歴史を持つ遺跡ですが、現在はほぼ完全な形にまで 復元されています。建物の前に置かれた説明のプレートには、日本に対する恨みや憎しみの言葉が、英語版と韓国語版には 書かれていますが、日本語版では、遠慮があるのか、さらっと簡単にしか書かれていません。私は一人での参観者でしたが、 ツアーの団体客に着いているガイドの説明も、日本人観光客に日本語でしている説明と、他の国の観光客へ英語でしている 説明とでは、聴いていると明らかに違っていました。英語での説明は、一口に言うと、日本の悪口ばかりでした。その点が、 ちょっと悪い印象でした。

昌徳宮(チャンドククン)

  Copy right by Yoon,Jong-Soon
 1405年、朝鮮王朝第5代王太宗(テジョン)によって建てられた王宮です。
 景福宮の東にあるため「東闕(トングォル)」と呼ばれ、戦争の時の火災によって数回にわたる復旧建築が行われ、現在のほぼ完全な姿となっています。
 景福宮と同じように、政務を司るための建物も建っていますが、実用的な建築様式の住居建築物が多いため、ここで生活した王が多かったそうです。世界遺産として指定されています。

 王宮の裏は、秘苑(ビウォン)と呼ばれる裏庭が作られています。面積が約9万坪に達するこの庭は当時の姿のままよく保存されており、 朝鮮時代の造園芸術が集約されたすばらしい庭です。

景福宮(キョンボックン)

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 朝鮮王朝を建国したイソンゲによって1394年に建てられた最初の王宮です。12万6千坪の広大な敷地に、 200を超える殿閣が建設され栄華を極めましたが、1592年の壬辰の乱により焼失しました。

 現在は、王の即位式や文武百官の朝礼などが行われた伝統的建築様式の勤政殿や、迎賓館の役割をした 2段建ての慶会楼などが復元され建っています。

 宮内には、韓国中央博物館、韓国民俗博物館、が併設されています。



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hpmanager2@albsasa.com Albert 佐々木