源氏とは

 源氏というと、鎌倉幕府を開いた源頼朝を生んだ源家(みなもとけ)が有名ですし、源氏(げんじ)=源家(みなもとけ)と誤解している方が多いようですが、間違いです。

 源氏とは、天皇家の出身でありながら、天皇から許可を得て家臣に下り、武家としての家を立てた一門を呼ぶ総称です。一般に「源」の姓を名乗ります。

 現代は、武家はありませんから、天皇家からは、『宮家』だけが分家しますが、かつては、文官である『宮家』と、武官である『源氏(家)』とがあったと、 理解すれば早いでしょう。(もちろん、例外はあります。平清盛で有名な『平家』も天皇家から分かれた武家ですので、清盛の平家も『源氏』です)

 後世に名が残る「源氏」の流れは、「清和源氏」と「宇多源氏」です。

 「清和源氏」は、第56代清和天皇からの流れ、「宇多源氏」は、第59代宇多天皇からの流れです。
 源頼朝の「源家」は、清和天皇から分家した源氏の一家系です。

 宇多天皇からの分家「宇多源氏」は、宇多天皇の孫であり、左大臣として当時の最高官位につき、権勢を極めた源雅信がその祖です。四男であった源扶義が、近江国蒲生郡佐々木庄を賜り、 佐々木の庄の領主となったことから、その子である、成頼より佐々木の姓を名乗り始め、佐々木家として現代も続いています。

 源氏の家として有名なのは、頼朝の「源家」・「足利家」・「新田家」・「佐々木家」。「徳川家」も、「新田家」の分家であり、源氏の家系です。

 「松平家康」が、「徳川」に姓を変えたのは、征夷大将軍の地位が、源氏の嫡流にしか与えられないことから、なんとしても、源氏の姓が欲しかったからです。 たまたま、「徳川家」の分家に、「松平家」があり、自分の姓と同じであったことと、本家である「徳川家」が、没落しながらも、現在の群馬県太田市に細々と続いていたことから、 自らを「徳川松平家」の子孫であると強弁しました。そして、本家の「徳川家」に養子に入り、源氏である「徳川家」を継いだとして、征夷大将軍の地位を、朝廷に要求したのです。

 蛇足ですが、「佐々木」の姓を名乗る徳川幕府の大名家はでていません(佐々木の姓を名乗る大名家はありませんが、改名し別の姓を名乗っている大名家はあります。 徳川家より家格の高い佐々木家なので、徳川将軍家に遠慮したのかも知れません)。しかし、朝廷との調整を司る高家としての高級旗本家(忠臣蔵で有名な吉良家も高家です)の 筆頭(もっとも禄高の高い)である「六角家」は、佐々木家から分家した家系であり、徳川幕府崩壊まで続いた家柄です。


 足利尊氏は、清和源家本家が生んだ最も高名であり、源氏武家のヒーロー、八幡太郎源義家の息子である「義国」の息子(つまり孫)「義康」が足利の庄の領主となり「足利義康」と名乗り、その直系の子孫ですから、 源氏の嫡流と呼ばれるのです。


 ちなみに、新田の庄の領主、新田義貞の祖先は、足利家の初代義康とは兄弟(源義重改め新田義重)です。兄弟が共に分家し、源氏の足利家と新田家を興しました。また、徳川家の初代は、新田義重の息子(新田義季改め徳川義季)が分家して 興した家系です。

 関東征伐に功績を残した八幡太郎源義家は、孫の二人を、北関東の要所である上州にに留め、それぞれに領地を与えたのです。



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